気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

※当サイトに掲載されている内容は、誤植・誤り・私的見解を大いに含んでいる可能性があります。お気づきの方はコメント等で指摘して頂けると嬉しいです。

©こけ
Powered by Blogger.

2013/05/20

名所江戸百景 -近像型構図について-


名所江戸百景を語る上で外せないのが、「近像型構図」というキーワード。

名所江戸百景の作品群を眺めてみると、その独特な構図が浮き彫りになる。
その顕著な例を以下に並べてみた。
左は「水道橋駿河台」、右は「日本橋江戸ばし」である。
どちらの絵も、手前に大きく物体が置かれ、奥に町並みが描かれている。
このように手前と奥のものを極端に書き分ける「対比の構造」こそ、名所江戸百景作品の特徴である。
名所江戸百景では、近像型構図を取り入れている作品が約50作品ある。

ここでこの構図について疑問に思うことがある。
①なぜ広重はこの表現手法を用いたのか
②「名所」江戸百景であるのに、名所風景では無い「物体」がメインに置かれるのは何故か

これらについては方々で諸説あるが、ここでは私の見解をまとめてみたい。

①近像型構図の果たすもの


この構図の作品を見たとき、人々はそこに「迫力」を感じる。
この視覚的効果を感じる理由は、遠近の対比によるもの言うよりは、遠近の対比によって生じた「何か」なのではないかと考える。

それは「複数の主題」であり、さらにそれがもたらす「アンバランス性」なのではないか。

例えば、上に示した「水道橋駿河台」が目に飛び込んできたとき、視点は間違いなく中央手前に描かれた鯉のぼりを捉えることになる。
しかし、すぐ後ろに視線を移すと、この場所から見える風景が目に入る。
さらにその奥には富士山が臨めるではないか。
ここまでの一連の視線の動きのあと、見ている者は、どの部分がこの作品の主題なのかわからなくなってしまう感覚に襲われる。
ここでこの作品のバランスが崩れ、不安感が込み上げてくる。
これが、複数の主題がもたらすアンバランス性である。

このアンバランス性は、作品の印象を大きく揺り動かす。
メインディッシュが何であるかが明確に捉えられないためである。

この技巧のお陰で作品に深みが増し、いわゆる「迫力」を生み出すことに成功している。

②風景を「あえて」凝視させない理由


名所江戸百景が震災復興の意味を持っていることは別のエントリーで述べた通りである。
作品が描かれたのは震災の翌年以降で、復興が進んでいる場所もあれば、未だ完全復旧に至っていない場所も多く存在した。
顕著な例を2つ紹介する。

一つ目は、左側「糀町一丁目山王祭ねり込」である。
近像型構図が用いられており、手前にクローズアップされた山車が、山王祭の迫力を物語っている。
広重が切り取った風景は、山車が半蔵門から入場していく様であると考えられるが、肝心の半蔵門については具体的に描かれていない。
この理由は、当時の半蔵門が、地震によって損壊していたためだという説がある。
山王祭が開催できるほど復興が進んだものの、半蔵門の完全復旧までには及ばなかったため、意図的に隠しているということである。

2つ目は、右側「神田明神曙之景」である。
山王祭と並んで、神田祭は隔年交互に催され、「天下祭」として盛大に執り行なわれていた。
また、神田明神は眺望の名所としても知られており、画面の奥には本郷台地から東側を臨んだ町並みが広がっている。
しかし、どうにも手前の松が邪魔である。
このワケは、奥に見える町並みをじっくりと見て欲しくないためであると考えられる。
神田周辺は、震災の影響を大きく受けた地域でもある。
そのため、この絵が描かれた当時は復興真っ只中であり、美しい町並みが完全に復旧できていなかったと考えられる。
あえて手前に注目物を置くことで、町並みを遠景に留めることに成功している。

このように、広重の「近像型構図」には、美術的観点や印象操作だけでなく、のっぴきならぬ理由によってこの構図を採る必要があったという点にも注目である。






0 コメント:

コメントを投稿