気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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©こけ
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2015/05/16

秩父三十四カ所巡礼の旅 Day4の① 〜琴平丘陵を上から下から〜



巡礼4日目は寝坊してしまったため午後からのスタート。
影森駅から10分程で26番札所・円融寺に到着。2011(平成23)年の改修により、美しい姿の本堂が迎えてくれた。
32番札所・法性寺に保管されている「長享二年秩父札所番付」には、奥の院となっている「岩井堂」が第六番札所として記されており、観音様や納経所も岩井堂の近くにあった。しかし、少なくとも江戸時代には円融寺が札所管理をするようになっていたとされ、現在では観音様・納経所ともにここ円融寺にある。

円融寺奥の院・岩井堂は、ここから20分程の距離にある。道中、昭和電工の工場構内を通過しなくてはならない箇所がある。ゲート前には守衛さんが控えており、慣れた手つきで道案内をしてくれた。
構内には「国産フェロクロム発祥の地」碑があった。それまで輸入に頼りきりだったフェロクロム(鉄とクロムの化合物)の国産生産に初めて成功した場所なのだそうだ。

工場を抜けると味のある鳥居がででんと姿を現す。「村社琴平大神社」とある社名標と鳥居の奥には長く延びる階段が目に入ってくる。この琴平神社の境内には神楽殿や土俵が設置されており、例大祭の際には相撲大会などが開かれるそうだ(参考:http://www.city.chichibu.lg.jp/3252.html)。
岩井堂へは、この神社を経由して赴くこともできるが、今回は本来の巡礼古道を行くため、鳥居の右側にある山道へ向かった。
鬱蒼とした林の中を300段余の階段が延びる。
階段は苔むしており、非常に滑りやすい。
一度作られてからほとんど修復がされていないのか、階段は中央部が窪んでおり、これもまた時代を感じさせる要素となっていた。
果てしなく延びる階段の脇には、所々に地蔵様や何かの碑が置かれていた。その多くが雨風によって摩耗し、凹凸が不明瞭になっていた。



階段を上りきると尾根に到達する。ここに岩井堂がある。
懸造り(崖造り)と呼ばれる斜面から張り出して建てる建築技法で、崖から迫り出す様はダイナミックである(懸造りの代表的な例は、京都の清水寺など)。
元久2(1205)年建立の堂は、千社札の数からも重ねてきた時代と信仰の厚さを感じさせられた。

さらに上に登る階段があったので、先に進んでみた(この階段も、天然岩を彫って作られたもので非常に味わい深かった)。
「仏国禅師の座禅石」なるものがあるはずなのだが、画像のような幟と小銭が入った木箱しか見つからず、残念ながらこの場を後にした。
27番札所に向かうには琴平丘陵の尾根を伝って進む道があるが、今回は来た道を戻り丘陵沿いの道を行くことにした。


27番大渕寺に到着。
観音堂である月影堂は1996(平成8)年に再建されたもので、色合いも目にまぶしい。
再建は過去2度に渡る火災によって観音堂が全焼したためである。そのうち1919(大正8)年の火災の原因は、当時開通して間もない秩父鉄道を走る蒸気機関車が噴出した火の粉によるものだというから、難儀なことである。

月影堂から寺院裏の琴平丘陵を臨むと、山間からひょっこりと観音様が顔を出している。1935(昭和10)年建立のこの護国観音は、関東三大観音の一つに数えられている。
もともと白衣観音として蓮華を持たせる筈だったが、戦時中という時代柄、剣を持つ形で作られたとのこと。
岩井堂から琴平丘陵ハイキングコースを辿ると、大渕寺の裏山からこちらに出てくることができるので、観音様を近くで拝むことができる。

影森駅を降りておよそ1時間半。今日の旅はまだ始まったばかりである。