気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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2015/10/20

秩父三十四カ所巡礼の旅 Day6の① 〜大日峠を越えて〜



秩父巡礼の旅も6日目となる。西武秩父駅7:35発の小鹿野線小鹿野車庫・栗尾行きバスで、終点の栗尾で下車。ちなみに終点で降りたのは私だけ。本日はここから34番寺まで一気に攻めたいと思う。

栗尾バス停前の馬頭観音と千手大士碑に今日の無事を祈願し、歩を進める。

石碑群の隣には十一面観音堂。中に十一面観音が祀られているのだろうが、確認することはできなかった。
十一面観音は病気治癒を祈願して祀られることが多く、往時から人気の高い観音であったそうだ。



畑の脇には「得大勢至尊」の石碑。得大勢至尊は勢至菩薩のこと。庚申講とならんで良く見られる「二十三夜講」では、陰暦二十三日に勢至菩薩を念ずる講である。この石碑は二十三夜待で利用されていたものなのだろうか。
こういったガイドマップにも載っていない石碑を発見するのも歩き旅ならではの楽しみである。

少し進むと右手に幾つもの石碑・石仏がまとめられている。勘定木橋石仏群のようだ。庚申塔・供養塔・地蔵などが並んでいる。国道の付替え工事の際に移設されたのだろうか。
少し進むと栗尾沢に「勘定木橋」が架かる。橋の袂には「埼玉の砂防発祥地」の石碑が置かれている。しかしときがわ町にも同様の発祥碑があり、砂防が築かれたのもほぼ同時期だという。
また少し進むと、新興住宅地の如く同じ姿の家屋がずらりと並んでいるエリアに遭遇した。町営の滝原団地である。鉱山か工場の従事者用住宅だろうか。
住人も現役を退いている人がほとんどだろう。子供が居なくなった公園の錆びた滑り台やブランコが某ゲームの世界のようで、それは恐ろしくもあり物悲しくもあった。

松坂、黒海土バイパス前の交差点を過ぎ、次の信号の手前に石仏群がある。寛政10年(1789年)建立の如意輪観音・馬頭観音などが立ち並ぶ。
この場所は明治初頭には飯田村に属していた和田の集落の入口のようだ(飯田村は明治22年に三田川村に、三田川村は昭和31年に小鹿野町に合併した)。

石仏群脇の道から国道を離れて小鹿野の中心街へ向かう。小鹿野は武州街道の宿場町として栄え、県内で二番目に町政が施行されたほど。
小鹿野の町中には至る所に歌舞伎のポスターや写真が掲げられている。小鹿野には二百数十年前に初代坂東彦五郎により江戸歌舞伎が伝えられ、明治期には常設舞台や興行巡業が最盛を迎えていたという。近年は町民総出で舞台を作り上げる活動が盛り上がっている。
小鹿野郵便局を過ぎた辺りで、県道をから細い路地へ入っていく。白山神社・大ケヤキの脇をすり抜けていく。道を間違えてしまったかと思えば、昭和年間建立の庚申塔が道案内してくれる。



さらにその先、下り坂になっている辺りに屋根付きの地蔵尊が鎮座している。安永4年(1775年)建立の地蔵で、台座には「右三十二ばん道」と刻まれている。
坂は赤平川へと下っていく。




金園橋から赤平川を臨む。11月中旬ということもあり木々の色づき始めが目に優しい。
丁度この場所は小判沢と赤平川が交わる地点である。小判が注ぐ地、つまり「金の園」にある橋であるから「金園橋」と命名されたという。


小判沢に沿って坂を登り、同名の「小判沢」集落に辿り着く。とある住居の一角に「こんせい宮」と書かれた額が掲げられた小さな鳥居があった。こんせい(金精)宮では、男根を模した自然石をご神体として祀っており、子孫繁栄を祈願している。
集落を抜けた辺りに大日峠へ向かう山道の入口がある。「熊出没」の文字がまぶしい。
道はしばらく小判沢沿いを進む。そんな中のボロボロの弁財天の碑。沢沿いの道ということもあって、足元は常時ぬかるんでおり、滑りやすい箇所も多くあった。
この辺りで32番寺から来た巡礼者とすれ違った。白装束を身に纏い、鈴付きの金剛杖を鳴らしながら向かってくる様は、迫力すら感じる。閑散とした山中で交わす短い挨拶は、なぜか安心するものだ。
山道に入って20分程で大日峠に到着。峠の名前の由来にもなった大日如来像が新旧揃い踏み。傍には大正8年(1919年)に設置された道標が立っている。
峠ではハイカー数人が小休憩を取っているところだった。峠から先はひたすら下りとなり、一気に麓まで降りていく。

10分程下ると集落の屋根がちらほら見え始める。石碑(おそらくお墓?)が山間の一角にまとめられており、この辺りまでが村民の日常的な活動範囲なのだろうと予想できる。
柿の久保の集落に出ると地蔵尊が出迎えてくれた。隣には道標も添えられており「順禮道」「左山道」と刻まれている。

そして三十二番寺はすぐそこに。