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2014/12/20

秩父三十四カ所巡礼の旅 Day2の① 〜平地をさくさく進んでく〜


秩父古道巡礼2日目。
天候にも恵まれ非常に清々しいスタートを切ることが出来た。
まずは前回の最終ポイントを目指すべく、西武鉄道横瀬駅から歩き始めた。途中この後訪問することになる9番寺を横目に見つつ、20分程で7番寺に到着した。
ここが本日のスタート。秩父のシンボル武甲山を眺めながら、準備運動を済ませると、早速8番寺へと足を進めていった。

国道から一本はずれた道を歩く。この道は6番札所が現在の位置に移転する(宝暦10年)以前の巡礼古道のようだ。
この「寺久保地蔵尊」は、寛延2年(1749年)の建立。寛政2年(1790年)に立てられた巳待塔碑と南無阿弥陀仏碑が両脇に添えられている。これらの碑は天明3年(1783年)に起こった浅間山の大噴火ならびに天明の大飢饉による苦しみからの解放を祈願したものとのこと。
国道とスイングバイしながら歩いていくと、6番から9番へ向かう巡礼道と合流した。
「けんむし坂」と呼ばれる坂の麓には馬頭観世音が祀られていた。天正18年(1590年)の鉢形城(大里郡寄居町)落城に伴い、その知らせをこの近くの根古屋城に伝達する使者が、この坂で巨大な毛虫に遭遇し、退治したという伝説がある。また、根古屋城城主が「渡辺監物(わたなべけんもつ)」であることから「けんもつ」が訛って呼ばれたという説もある。
坂を上りきると、武甲山御岳神社の標柱が姿を現す。武甲山周辺にあった複数の神社を統括したものらしく、大本はもちろん武甲山にある。その里宮が麓のこの場所にある。
境内にある「城谷沢の井」は深さ4mで今でも水をたたえている。かつて秩父絹(根古屋絹)と呼ばれる無地絹物の染色に使用されたという。


札所八番・西善寺に到着。
末広がりの八ということで札所の中でも重宝されており、「吾野通り」と呼ばれる街道を使った巡礼ではここを最初に訪れ、「逆打ち」で1番札所へ向かうコースもあった。

西善寺の象徴である樹齢600年の「コミネモミジ」。
驚く程大きい。シーズンになるとこんな閑静な寺に大量の観光客が押し寄せてくるという。
(参考:西善寺 ブログで寺の関係者の本音が語られていて、こちらも風情があって?面白い。)

9番寺までは横瀬駅に戻るように西武鉄道の線路沿いの道を歩いていく。道中には道標石が2個並んでいるものがあった。それぞれ「みぎ九番」「みぎ九番道」と刻印が違うのだが、どちらにも心求・はまの名が刻まれている(どうやら2人以外に連名している施主の名前が異なる?)。



そんなこんなで、本日2度目の9番札所・明智寺に到着。
こじんまりとしたお寺で、時間の問題か参拝客もほとんどいなかった。
安産祈願の9番寺として知られており、1/16・8/16の「九番の観音様縁日」には多く参拝客が訪れるという。

まだまだ行こう、いざ10番。
国道に一度出て、兎沢橋を渡りきる前に階段を下りるのが正規ルート。馬頭観音と道標石がちょっとした目印になっており、ここから細い道を進んでいく。
ちなみに道標石の脇に、かつての巡礼道にあたる「申橋」という名の小さい橋が残されている。また、細い道は「申坂」と呼ばれる緩やかな坂になっている。


坂を上りきると道標石。「右志かう道 中十番道 左大宮」と書かれている。「志かう」は埼玉県ときがわ町にある、坂東三十三箇所観音に数えられている「慈光寺」のことのようで、方向的には確かに合っているが相当距離がある。一方の「大宮」は現在の秩父市(江戸期には大宮郷)あるいは秩父神社(通称大宮)を指すのだろう。


山門前の石段を上ると、札所十番・大慈寺の観音堂に到着。
裏側は小高い山になっていて、かつての観音堂はその山頂付近にあったという。そして、その山がこれから私の行く手を阻むことになるのだが、長くなってしまったのでここで一区切り。

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