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2016/01/11

江戸時代の年号を覚えたい その②

※ここまでのまとめ
(中期)元禄文化→享保の改革→寛政の改革→化政文化→天保の改革→…
→(後期)安政の大獄→…→江戸開城(慶応

ここでは年号と結び付きの強い「飢饉」と「大火」について調べてみた。

飢饉


  • 寛永の大飢饉

江戸時代初期は慢性的に凶作・飢饉に悩まされており、それが最大化したもの。

  • 享保の大飢饉

西日本を中心とした飢饉。これにより米価が高騰し、江戸で享保の打ちこわしが発生した。

  • 天明の大飢饉

東北地方を中心とした飢饉。これにより農村部から都市部に人口が流入し、治安が悪化。全国で打ちこわしが多発した。これら諸事により田沼意次が失脚し、事態の脱却を図るため寛政の改革が行われることになる。

  • 天保の大飢饉

洪水や冷害による凶作に伴う飢饉。百姓一揆や打ちこわしが全国で頻発し、大塩平八郎の乱にも繋がった。

参考:Wikipedia|江戸四大飢饉

(初期)寛永の大飢饉→…
→(中期)元禄文化→享保の改革→天明の大飢饉寛政の改革→化政文化→天保の改革→…
→(後期)安政の大獄→…→江戸開城(慶応

江戸の大火


  • 明暦の大火(振袖火事)

江戸の町について調べていると必ず引っかかるキーワードなのではないだろうか。この火事で江戸は一掃され、その教訓として回向院の建立、広小路の設置、隅田川東岸の宅地拡大をはじめ、江戸の都市計画が大きく変更される契機となった。

  • 明和の大火(目黒行人坂の大火)

目黒行人坂にある大円寺での放火が原因となった火事。目黒から出火し千住まで広がった。その後の建物の修復や再建において資材が不足し、物価がそれまでの10倍になってしまった。これら災難が明和九年(迷惑年)という年号によるということから、この年に「安永」に改元された。

  • 文化の大火(丙寅の大火)

芝で出火し浅草まで延焼した火事。下谷にあった組屋敷が全焼し、空き地で朝顔の栽培を始めたところ、江戸に朝顔ブームが広がることとなった。

ここまでをまとめると次のようになる。

(初期)寛永の大飢饉→…→明暦の大火
→(中期)元禄文化→享保の改革→明和の大火→安永に改元天明の大飢饉→寛政の改革→化政文化→天保の改革→…
→(後期)安政の大獄→…→江戸開城(慶応

ここまでで13個の年号が挙った。
ここからが難しいところになってくる。

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