徳川家康によって東海道が慶長6年(1601年)に整備され、人々の往来が盛んに行われるようになると、「寺社仏閣への参拝」が町人にとってメジャーな娯楽の一つとなった。江戸から数えて東海道1番目の宿場であった品川宿は、当時江戸で人気のあった目黒不動尊(瀧泉寺)などへ向かう起点としての役割も果たしていた。
そんな品川宿から参拝しやすい寺社の一つに「法華寺」があった。碑文谷村にあった法華寺には黒漆塗りの仁王像が安置されており、これが江戸時代中期に「碑文谷の黒仁王」として広く知られるようになると、大勢の参拝客を集めることとなった。
法華寺は天保5年(1834年)に「圓融寺」と改称するが、東海道品川宿から碑文谷圓融寺までの古道が現在でも断片的に残っている。今回はその「碑文谷道」を辿り、町人たちがどのような道のりで参拝へ向かったのかを感じることとした。
品川宿から碑文谷へ向かう古道はいくつかあるが、今回はその中から品川宿南馬場より三ツ木を経由して品川用水沿いを進む道をトレースしてみた。道中、JR大崎駅付近は道が寸断されており迂回が必要だったり、詳細なルートが不明な箇所もあるが、できるだけ古い道と思われる道を選んだ。
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