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2022/02/11

【巡礼記】関東三十六不動尊 第十番 田無不動尊


高幡不動から多摩モノレール、西武拝島線を利用して田無駅へ向かう。そこから徒歩10分ほどで田無山総持寺へ到着。現在の総持寺は、近隣にあった西光寺、密蔵寺、観音寺の3寺が合併して明治8年(1875年)に創建したもの。その内、西光寺は元和年間(1615〜1625年)に創建し、慶安年間(1648〜1651年)に現在地に移転したと伝わる。江戸時代には隣接する尉殿権現社(現在の田無神社)の別当寺を務めていた。


昭和55年(1980年)再建の山門をくぐって左手には弘法大師と興教大師の像が並ぶ。弘法大師はいわゆる空海のことで、真言宗の開祖として有名である。一方の興教大師はまたの名を覚鑁(かくばん)と言い、平安時代後期に「新義真言宗」を開いたとされる僧である。「真言宗智山派」や「真言宗豊山派」と呼ばれる宗派は新義真言宗にあたり、総持寺は真言宗智山派である。


本堂には行基作と伝わる大聖不動明王、尉殿大権現の御神体である倶利伽羅不動明王像などが祀られている。


境内の一角にあった「滝の不動尊」。柳沢で宿屋を営んでいた「田丸屋」が、成田山新勝寺から勧請し庭の祠で祀っていたものだという。大正6年(1917年)に現在地に遷座された。


妙見堂には、田無村の名主・下田半兵衛冨宅(とみいえ)の木造が安置されている。田無村は天領であったため、代官である名主・下田半兵衛がこの地を治め、その名前が代々受け継がれていた。下田半兵衛富永は飢饉に備えた「稗倉」を建て、貯蔵して古くなった稗については貧しい人などに分け与えていた。富永の養子・富宅は嘉永7年(1854年)に自身の土地を「養老畑」として提供し、この畑で得た収入を村の70歳以上の老人に分配するという福祉政策を行った。これらの活動が田無宿の発展につながった。

霊場

田無山 総持寺 田無不動尊
所在地: 東京都西東京市田無町3-8-12
三十六童子:不思議童子(ふしぎどうじ)

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