第27番札所・川越不動尊のすぐ南には、川越の名刹として有名な喜多院がある。平安時代の天長7年(830年)に慈覚大師円仁により創建された勅願所に始まり、慶長4年(1599年)に天海僧正が住職となった際に、寺号を「喜多院」と改めた。天海といえば徳川家康・秀忠・家光の顧問として幕政に参画した人物で、明智光秀が成り代わったという都市伝説も有名である。慶長16年(1611年)には徳川家康が川越を訪問し、慶長17年(1612年)には天海の進言によって家康が喜多院を関東天台宗の本山に定めることを認めた。
家康の死後に日光東照宮に移葬する際には喜多院に立ち寄って、天海による4日間の法要を執り行っている。元和3年(1617年)に、家康への感謝の気持ちを伝えるために家康像を作成し、お堂に祀ったことが仙波東照宮の始まりである。
本堂は慈恵堂と呼ばれる。寛永15年(1638年)に川越大火が起こり、喜多院にある建物は多くが焼失してしまったが、翌年に寛永16年(1639年)に再建されている。慈恵大師良源(元三大師)を祀っており、大師堂とも呼ばれる。本堂中央に慈恵大師、左右に不動明王が祀られている。
慈恵堂は「潮音殿」とも呼ばれる。静寂に包まれた堂内で耳を済ませると、まるで潮の満ち引きのような漣が聞こえてきたという出来事にちなんでいる。
山門脇の一角には石造の五百羅漢像が並んでいる。天明2年(1782年)から文政8年(1825年)にかけて建立され、日本三大羅漢の一つにも数えられている。日本三大羅漢は喜多院の他に羅漢寺(大分県中津市)、建長寺(神奈川県鎌倉市)、徳蔵寺(栃木県足利市)が名乗りを上げているようだ。ここには十大弟子(釈迦の弟子の中で主要な10人)、十六羅漢を含めて533体と釈迦如来、文殊・普賢菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩の計538体が鎮座している。
太子堂は昭和47年(1972年)に建立されたもの。当初は弘化4年(1847年)に末寺の金剛院境内地に作られたものだったが、明治になって廃寺となった折に移築などを繰り返していた。
寛永の川越大火で焼け残った数少ない建造物の一つが山門である。棟札によれば寛永9年(1632年)に天海によって建立されたものだといい、国指定重要文化財に指定されている。かつては後奈良天皇直筆の「星野山」の勅額が掛かっていたという。
山門前では天海像が参拝客の様子を眺めていた。
霊場
星野山 無量寿寺 喜多院 川越大師不動尊
所在地:埼玉県川越市小仙波町1-20-1
三十六童子:虚空蔵童子(こくうぞうどうじ)
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