海野宿を抜けて、千曲川に沿って進む。上田市に入り、大屋駅手前で左に入る旧道があるようだが見逃してしまった。大屋駅前で国道152号と合流するが、すぐに左の旧道へ入る。しばらくすると線路沿いの道となるが、再び左に曲がり旧家が多く残る岩下集落へ。
道が千曲川近くまで迫ると、川の中州に大きな岩が見える。この岩は、激しく当たる水流の音から「太鼓岩」と呼ばれる。昭和5年(1930年)には吊り橋がかけられ、観光客の誘致にも一役買っていたという。
千曲川沿いには家庭菜園か何かの小規模な畑が広がる。千曲川に沿った細い道が「旧北国街道」に指定されていたので、わずかながら未舗装区間を進む。
その先に見えてきた巨大な橋は、北陸新幹線の第二千曲川橋梁。平成8年(1996年)に竣工したこの橋は「上田ハープ橋」の愛称で知られ、上田盆地のランドマークとなっている。この日は5月4日。鯉のぼりがゆうゆうと千曲川を泳いでいる。
北陸新幹線の下堀地区開業記念碑の手前で道はY字に分岐する。右手に進む道が旧道のようだが、見逃してしまった。旧道はその後北陸新幹線の東側に出てくるが、旧道は西側に続く。しかし、新幹線の跨線橋に阻まれ東西の横断ができないため、厳密に旧道をトレースする場合はだいぶ先で迂回する必要がある。西側を進んだ旧道は、北陸新幹線、しなの鉄道をクロスオーバーし、上堀地区へと入る。左手に慶応2年(1866年)建立の髭題目碑があった。
上堀集落の案内。しっかりと六文銭が添えられている。
国道141号を横切ると「踏入」と呼ばれる集落となる。この南東に信濃国府があり、国府に踏み入る地という意味で「踏入」という地名になったという。ここにある井戸では、古くから7月に井戸替えを行い、8月には井戸の横に千曲川から運んだ砂で「天之川」の文字を作って、笹などで飾り付けをしてお盆の準備を行うという祭りを行っていた。この祭りは戦後途絶えたが平成7年(1995年)より復活し、日本七夕行事百選にも指定されたという。
道はT字路にぶつかり右に折れ、すぐに左に曲がる枡形の線形をとる。そして街道は科野大宮社にぶつかり今度は左に折れる。信濃国の総社に推定されており、社伝によれば崇神天皇の代(3世紀後半〜4世紀前半)の創建だという。現在の社殿は万延元年(1860年)に上田城主・松平忠礼により再建されたもの。
気づけば13時を回ってしまったので、お昼を食べる。安定の蕎麦である。
天正11年(1583年)に真田昌幸が上田城を築城すると、その周辺に城下町が形成された。街道筋には常田町、横町、海野町、原町、木町、柳町…と続く。横町が上田宿の東口にあたり、城下町の防衛のため折れ曲がった道筋となっていた。原町にあたる区間は現在では国道141号となっている。
柳町は往時の面影を残した卯建の建物等が残っている。宿場時代にはこの辺りに旅籠や呉服屋が並んでいて、呉服屋は25軒もあったという。
柳町の北端には「保命水」と呼ばれる井戸水がある。柳町の生活用水を確保するために、明治14年(1881年)に海禅寺の境内より湧水を引いたもの。
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