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2024/04/12

【歩き旅】北国街道 Day5 その③


坂を登っていきながら長野市から飯綱町へと入っていく。民家の擁壁にもたれかかるように千手観音っぽい石仏が鎮座していた。


県道60号に合流する。今歩いている道は中部北陸自然歩道にも指定されているようだ。


県道を少し進んだらすぐ左に折れる。登り坂を進むと、左手に明治天皇北陸巡幸野立所跡の碑がある。明治11年(1878年)の明治天皇北陸御巡幸の5日目、田子で休憩した後、ここ鍛冶ヶ窪で野立を行った。


県道60号と並行するように旧道を進む。県道と合流する場所に「新北国街道(長野荒瀬原線)」の案内板がある。旧街道は県道を横断して「丹霞郷・平出入口」の方向へ進む。


平出集落を進む。目立たないが集落の隙間の道が、北国街道の脇往還である長沼道(松代道)の追分。神代宿、長沼宿を経て千曲川東岸へわたり、福島宿、川田宿、松代宿を経て北国街道屋代宿へ至る。この道の先、右手の曲がったところに道標が残されているようだが、気づかずスルーしてしまった。


追分の少し先に太子堂がある。「平出公民館」というバス停が目の前にあるので、公民館として利用されているよう。


その先右手に高山寺の参道があり、ここに安永6年(1777年)建立の鐘楼が置かれている。高山寺は加賀藩が参勤交代で休憩に利用したという。


すぐ先の家の前に馬頭観音らしき石仏が鎮座していた。


県道60号に合流する。道の左手に松が聳えていて近くの交差点名は「三本松」。街道の峠になっていて見晴らしが良いということだが、現在ではそこまで峠感はない。


松が植えてある塚は修行者を祀ったものなのか旅行者を葬ったものなのか不明だというが、地域の字名に「行人塚」として残る。小林一茶が江戸に旅立つ時、父親と別れた場所と推定されており「一茶父子別れの地」の碑が建てられている。


県道を緩やかに下りながら右手の旧道に入り、四ツ屋の集落に突入する。旧道に入ってすぐにややこんもりとした丘のようなものがあり、これが四ツ屋一里塚だという。


黒姫高原を臨む。


前坂と呼ばれる坂をひたすら下っていく。


リンゴ畑の一角に弘化4年(1847年)の馬頭観音と思われる石仏があった。


何度目かの県道60号との合流点に石仏などがまとめて置かれている。庚申塔、馬頭観音、地蔵尊、筆塚などが並ぶ。

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