歴史と散歩とポタリングと
気の向くままにつらつらと。
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2021/07/27
【歩き旅・ルート】碑文谷道 〜黒仁王を拝む道〜
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徳川家康によって東海道が慶長6年(1601年)に整備され、人々の往来が盛んに行われるようになると、「寺社仏閣への参拝」が町人にとってメジャーな娯楽の一つとなった。江戸から数えて東海道1番目の宿場であった品川宿は、当時江戸で人気のあった目黒不動尊(瀧泉寺)などへ向かう起点としての役...
【歩き旅】碑文谷道 その①
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今回のスタート地点は旧東海道と南番場通りの交差点から。この南東にはかつて東海道品川宿の問屋場があり、後に同じ建物に貫目改所が設置された。物価の高騰によって江戸庶民が生活が逼迫したことで起きた慶應2年(1866年)の打ち壊しは、この場所での襲撃を発端に武州・上州への一揆に波及してい...
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2021/06/20
【雑記】電柱番号から見える少し昔の風景
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地名は淘汰される 世の中には「無用になった地名」が存在する。 そもそも地名というのは、その地域・地区・集落などを同定するために使われた名前で、時代の流れや利便性により変更・淘汰が繰り返されるものであり、これは必然である。 かつて「江戸」と呼ばれた地域は、新しい時代の幕開けと共に「...
【歩き旅】山の辺の道 Day2 その④
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南都鏡神社に立ち寄る。鏡神社は佐賀県唐津市に本社を構えており、天平・天平神護年間に福智院に勧請された。現在地には大同元年(806年)に新薬師寺の鎮守社として移設され、延享3年(1746年)には春日大社の本殿第三殿が譲渡された記録が残っている。明治の神仏分離によって、新薬師寺から独...
2021/05/07
【歩き旅】山の辺の道 Day2 その③
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藤原町の集落に入ると、白山比咩神社の前に出てくる。由緒は明らかではないが、元禄4年(1691年)、寛政4年(1792年)銘の石灯籠が残されている。広々とした境内で小休憩させてもらった。神社の向かいには明治時代に廃寺になった観音寺の後身である藤原観音堂がある。 集落を抜けると何度目...
2021/05/02
【歩き旅】山の辺の道 Day2 その②
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高樋を抜けると高樋青年団が寄贈したレトロな時計台がある。この脇の道を上っていくと紅葉の名所として知られる正暦寺。境内を流れる菩提仙川の水を使って、初めて清酒を作ったとも伝わる地である。今回は正暦寺と逆の方面へ進む。 柳茶屋墓地の入り口に延命地蔵尊がある。江戸時代初期に造立した...
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