歴史と散歩とポタリングと
気の向くままにつらつらと。
Pages
(移動先: ...)
ホーム
▼
2021/11/28
【宝珠稲荷神社】江戸歌舞伎と木挽町と板倉家
›
「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」と称されるほど、江戸市中には稲荷神社が数多く点在した(稲荷神社については こちら も参照)。銀座三丁目の木挽町通り沿いにひっそりと佇む「宝珠稲荷神社」も、そんな数多の稲荷神社の一つに過ぎない。知名度も無ければ、ガイドマップなどで紹介される機会も少ない神社...
2021/09/04
【雑記】稲荷神社がやたらと「正一位」を主張してくる件
›
街歩きをしていると、よく神社の幟などに「正一位」と記されているのを見かける。これはおそらく神社の「位」とかそういうものなのだろうと推測できるが、一つ違和感を感じた。格があまり高くなさそうな路傍の小さな神社ですら「正一位」を掲げているのだ。 また、「正一位」があるのであれば、「...
2021/08/10
【歩き旅】碑文谷道 その②
›
わくわく広場の向かいの細道を入ったところに「国藏五柱稲荷大明神」があった。小さな祠で由緒も不明である。「国藏」とは何を指すのだろうか。「五柱」は祀っている神様の数であろうが、祭神の記載等はなかった。なお、2020年頃に隣の区画に移転し、その際に社殿などが新調されたようなので、永く...
2021/07/27
【歩き旅・ルート】碑文谷道 〜黒仁王を拝む道〜
›
徳川家康によって東海道が慶長6年(1601年)に整備され、人々の往来が盛んに行われるようになると、「寺社仏閣への参拝」が町人にとってメジャーな娯楽の一つとなった。江戸から数えて東海道1番目の宿場であった品川宿は、当時江戸で人気のあった目黒不動尊(瀧泉寺)などへ向かう起点としての役...
【歩き旅】碑文谷道 その①
›
今回のスタート地点は旧東海道と南番場通りの交差点から。この南東にはかつて東海道品川宿の問屋場があり、後に同じ建物に貫目改所が設置された。物価の高騰によって江戸庶民が生活が逼迫したことで起きた慶應2年(1866年)の打ち壊しは、この場所での襲撃を発端に武州・上州への一揆に波及してい...
2 件のコメント:
2021/06/20
【雑記】電柱番号から見える少し昔の風景
›
地名は淘汰される 世の中には「無用になった地名」が存在する。 そもそも地名というのは、その地域・地区・集落などを同定するために使われた名前で、時代の流れや利便性により変更・淘汰が繰り返されるものであり、これは必然である。 かつて「江戸」と呼ばれた地域は、新しい時代の幕開けと共に「...
【歩き旅】山の辺の道 Day2 その④
›
南都鏡神社に立ち寄る。鏡神社は佐賀県唐津市に本社を構えており、天平・天平神護年間に福智院に勧請された。現在地には大同元年(806年)に新薬師寺の鎮守社として移設され、延享3年(1746年)には春日大社の本殿第三殿が譲渡された記録が残っている。明治の神仏分離によって、新薬師寺から独...
‹
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示