東京メトロ東西線・門前仲町駅1番出口を出ると、早速目の前に赤い門が佇んでいる。ここから深川不動尊こと成田山東京別院深川不動堂への参道が伸びている。
永代通りの赤門から深川不動堂までの約150mの参道は「人情深川ご利益通り」の通称が付けられている。明治40年(1907年)創業の和菓子屋・伊勢屋、嘉永3年(1850年)創業の和菓子屋・梅花亭、昭和27年(1952年)創業の其角せんべいなどの老舗だけでなく、ここ数年で開店した店舗も並んでいて、まだまだ江戸下町の活気は衰えていない。
かつてのこの辺りは海岸線に近い場所であった。そこに永代島という島があり、寛永元年(1624年)に永代寺が建立された。寛永4年(1627年)には隣接する形で永代嶋八幡宮が創建され、これが後の富岡八幡宮となる。八幡大神は源氏の氏神であり、これを祀った富岡八幡宮は将軍家の庇護を受けて発展し、「深川の八幡様」として庶民にも受け入れられるようになった。永代寺はその別当寺として栄え、その門前に発展した町屋が「門前仲町」となった。
江戸歌舞伎の初代市川團十郎は、父の地元・成田山新勝寺で子宝祈願をしたところ、二代目團十郎を授かった。その後も健康に育ったため、その謝礼として元禄8年(1695年)に山村座にて『成田不動明王山』を上演したところこれがヒットし、「成田屋」の屋号が生まれた。これを契機にそれまで無名であった成田山の知名度が上がっていき、元禄14年(1701年)には初めて本尊が開帳され、その2年後の元禄16年(1703年)には江戸出開帳が永代寺で行われた。以降、安政3年(1856年)まで全12回の江戸出開帳のうち11回が永代寺で実施されることとなる。
永代寺は神仏分離令により廃寺となり、境内地は深川公園に転用された。しかし、民衆の不動尊信仰は継続して篤かったため、明治11年(1878年)に不動尊を成田山より勧請し、「深川不動堂」の設置が許可され、明治14年(1881年)に本堂が完成した。前本堂が東京大空襲で焼失したため、文久3年(1863年)建立の千葉県印西市にある龍腹寺のお堂を昭和25年(1950年)に移設した。これが参道正面にある「旧本堂」である。
「旧本堂」の隣にある現代アートのような建物が現在の「本堂」にあたる。開創310年を記念して平成23年(2011年)に清水建設により施工された建物で、外側を不動明王真言の梵字で装飾した奇抜なデザイン。内部もバリアフリー構造となっており、現代的な建築物となっている。
霊場
成田山 東京別院 深川不動堂 深川不動尊
所在地: 東京都江東区富岡1-17-13
三十六童子:因陀羅童子(いんだらどうじ)
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