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2022/08/01

【歩き旅】北国街道 Day1 その①


軽井沢といえば、日本を代表する避暑地として言わずもがなの地名度を誇っている。中山道の軽井沢宿から二つ京方の宿場が「追分宿」である。元禄時代には旅籠71軒、茶屋18軒、商店28軒を誇り、200人以上の飯盛女を抱える盛況ぶりであった。

この追分宿の京口で左手に中山道、右手に北国街道が分岐し、これが「追分」の名前の由来となっている。

ここには幾つかの石碑が置かれている。道祖神の後ろにある延宝7年(1679年)の道標には「右是従北国海道 左是従中仙道」と刻まれている。その後ろの常夜燈の台座には「是より左伊勢」とある。その隣にある地蔵の台座には各方面への里程標が刻まれていて、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを 追分の宿」の一文が添えられている。


その奥には勢至菩薩。さらに奥には馬頭観音像があり、分去れには7つの碑がある。


分去れからから細めの道を進むが、すぐに国道16号へと合流する。右手には浅間山。


右手にあるドライブイン軽井沢は廃墟として有名な建物。独特なデザインを保ったまま20年近く廃墟状態だったが、訪問後の2021年10月に長野・上田で北欧家具輸入を営む「haluta(ハルタ)」が移転し、建物全体を複合施設「still(シュティル)」としてリノベーションして運営している。参考:haluta|ハルタ


軽井沢町から御代田町へと突入する。御代田町工場団地の案内板のところで左の旧道へ入る。三ツ谷を過ぎると再び国道18号と合流するがほぼ横切る形で旧道へ入り直す。


このあたりは馬瀬口と呼ばれる地区。馬瀬口は追分・小諸間の間の宿であった。明治11年(1878年)秋の東海・北陸二道御巡幸の際、明治天皇の御小休所として使われた高山家がある。


馬瀬口を抜ければ再び国道へ合流。小諸市へと入る。御代田町と小諸市の境は繰矢川となっており、十石坂で下っていく。かつてはつづら折りの坂があったようで、その旧道入り口と思わしき箇所の写真だけ撮ってみたが、道が続いているようには見えない。


平原東交差点の手前の畑に馬頭観音碑があった。このあたりまで十谷坂だったということだろうか。
 

平原東交差点先で左手の旧道へと進む。ここに平原一里塚跡の看板と寛政5年(1793年)の馬頭観音があった。塚と思われるものはなかった。


寛永5年(1628年)創建の長龍寺。


昭和24年(1949年)にお堂が罹災した十念寺跡地に2つの碑がある。左は南無阿弥陀仏碑、右は弘化2年(1845年)建立の一遍上人初開道場碑。寺伝によれば、一遍はこの地で踊り念仏を伝えたのだという。その手前に掲げてある二十五菩薩来迎会とは、極楽往生の様子を描いた「来迎図」と呼ばれる絵の内容を踊りによって理解させようとしたもので、市の重要無形文化財に指定されている。


脇道に入ると白山神社がある。浅間山麓には白山神社がいくつかあるが、これは長野の上田・須坂と群馬の嬬恋の境にある四阿山(あずまやさん)を「白山」と呼んでいたことに由来するようだ。四阿山と山続きである浅間山の権現は一体だったという考えから、浅間山を白山信仰の対象とし、白山神社を建立しているのだという。


そろそろお昼時なので、旧道を外れて国道沿いにある「やまへい」さんへ。昭和初期に建てられた庄家を昭和51年(1976年)に移築復元した立派な佇まい。


信州に来たからにはやはりそばでしょう。腹を満たして本日後半へ続く。

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