【歩き旅】北国街道 Day1 その①
軽井沢といえば、日本を代表する避暑地として言わずもがなの地名度を誇っている。中山道の軽井沢宿から二つ京方の宿場が「追分宿」である。元禄時代には旅籠71軒、茶屋18軒、商店28軒を誇り、200人以上の飯盛女を抱える盛況ぶりであった。
この追分宿の京口で左手に中山道、右手に北国街道が分岐し、これが「追分」の名前の由来となっている。
ここには幾つかの石碑が置かれている。道祖神の後ろにある延宝7年(1679年)の道標には「右是従北国海道 左是従中仙道」と刻まれている。その後ろの常夜燈の台座には「是より左伊勢」とある。その隣にある地蔵の台座には各方面への里程標が刻まれていて、「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを 追分の宿」の一文が添えられている。
その奥には勢至菩薩。さらに奥には馬頭観音像があり、分去れには7つの碑がある。
分去れからから細めの道を進むが、すぐに国道16号へと合流する。右手には浅間山。
右手にあるドライブイン軽井沢は廃墟として有名な建物。独特なデザインを保ったまま20年近く廃墟状態だったが、訪問後の2021年10月に長野・上田で北欧家具輸入を営む「haluta(ハルタ)」が移転し、建物全体を複合施設「still(シュティル)」としてリノベーションして運営している。参考:haluta|ハルタ
軽井沢町から御代田町へと突入する。御代田町工場団地の案内板のところで左の旧道へ入る。三ツ谷を過ぎると再び国道18号と合流するがほぼ横切る形で旧道へ入り直す。
このあたりは馬瀬口と呼ばれる地区。馬瀬口は追分・小諸間の間の宿であった。明治11年(1878年)秋の東海・北陸二道御巡幸の際、明治天皇の御小休所として使われた高山家がある。
馬瀬口を抜ければ再び国道へ合流。小諸市へと入る。御代田町と小諸市の境は繰矢川となっており、十石坂で下っていく。かつてはつづら折りの坂があったようで、その旧道入り口と思わしき箇所の写真だけ撮ってみたが、道が続いているようには見えない。
平原東交差点先で左手の旧道へと進む。ここに平原一里塚跡の看板と寛政5年(1793年)の馬頭観音があった。塚と思われるものはなかった。
寛永5年(1628年)創建の長龍寺。
0 コメント:
コメントを投稿