徳川家康が江戸に入府してまず取り掛かったのが五街道の整備。慶長6年(1901年)から整備は始まったが、その五街道である日光街道、奥州街道と千住宿で分岐し、水戸方面に伸びるのが水戸街道である。
江戸時代には五街道の付属街道として主要な街道に配置される道中奉行の支配下にもあったことから、当時から重要であったことが伺える。
水戸といえば思いつくのが水戸光圀に代表される御三家・水戸徳川家。慶長14年(1909年)に徳川頼房を創始とする水戸徳川家が成立すると、水戸街道の整備はさらに盛んになっていった。
水戸徳川家が治めていた水戸藩は参勤交代を行わない江戸定府であったため、藩主が水戸街道を通行することは稀であった。代わりに家臣や伝令の行き来は盛んに行われていたようである。
また参勤交代で利用する藩も多く、23もの大名が利用していたという。これは水戸藩の勢力拡大に伴う街道整備により交通の便が良くなったこと、そして五街道の混雑を避ける目的で利用する藩が多かったようだ。
水戸徳川家が治めていた水戸藩は参勤交代を行わない江戸定府であったため、藩主が水戸街道を通行することは稀であった。代わりに家臣や伝令の行き来は盛んに行われていたようである。
また参勤交代で利用する藩も多く、23もの大名が利用していたという。これは水戸藩の勢力拡大に伴う街道整備により交通の便が良くなったこと、そして五街道の混雑を避ける目的で利用する藩が多かったようだ。
水戸までの道中はアップダウンもほとんどなく、平地をひたすら進んでいくような感じである。東京都内から千葉県内にかけては都市部の外郭エリア、以降は住宅地と田園風景を交互に眺める道中であった。
基本的にJR常磐線に沿った道のりではあるが、石岡駅から水戸駅までは駅から離れた場所を進むため、この区間は一日で水戸まで歩いてしまうことをオススメする。
山あり谷あり波乱万丈な行程ではないが、まったりと風景を眺めながら進む街道歩きとして楽しむことができた。
宿場は以下の通り。
千住宿ー新宿ー松戸宿ー小金宿ー我孫子宿ー取手宿ー藤代宿ー若柴宿ー牛久宿ー荒川沖宿ー中村宿ー土浦宿ー中貫宿ー稲吉宿ー府中宿ー竹原宿ー片倉宿ー小幡宿ー中村宿ー水戸宿
1日目 | 2015/06/13 | 千住〜金町 | その① |
2日目 | 2015/06/23 | 金町〜柏 | その① その② |
3日目 | 2015/07/19 | 柏〜藤代 | その① その② |
4日目 | 2016/06/11 | 藤代〜土浦 | その① その② その③ その④ |
5日目 | 2016/11/20 | 土浦〜石岡 | その① その② その③ |
6日目 | 2018/03/18 | 石岡〜水戸 | その① その② その③ その④ |
参考文献
松戸市立博物館企画展「水戸道中 宿場と旅人」
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