気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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©こけ
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2015/01/28

秩父三十四カ所巡礼の旅 Day2の③ 〜札所ラッシュ!〜



ここからの札所は住宅街の中に点在し、各札所間の距離も短いのでさくさく巡ることが出来る。
まずは西武秩父駅と秩父鉄道御花畑駅の目と鼻の先にあるお寺、十三番札所・慈眼寺。名前の通り「眼」の寺として知られており、境内にはメグスリの木が植えてある。
納経所で「メグスリ茶」なるものを味見したが、苦みとスースー感がなんとも言えない感じだった。


次の十四番・今宮坊へは10数分ほどで到着。周囲を住宅に囲まれてひっそりと佇んでいる静かなお寺だった。ひっそりとしすぎて、近くにあった今宮神社に間違えて入ってしまったくらいだ。
先客の方は熱心な巡礼者のようで、般若心経の読み方がこれまでの他の人と比べても様になっていた。納経帳が真っ赤になるほど巡礼を何週も行っているようで、朱印書きの手伝いをしていた方がどこに判を押せば良いのか戸惑っていたのが印象に残っている。


今宮坊から東へ進み、踏切を渡ると十五番札所・少林寺。本堂の白さが独特の様相のこのお寺は、1878(明治11)年に起きた「秩父大火」の際に消失した本堂を再建する際に、防火の目的から西洋様式を取り入れたため漆喰塗籠・土蔵造りの仕様となっている。
敷地内には、1884(明治17)年に起きた秩父事件で殉職した警官の墓と山縣有朋が贈った碑がある。

今度は進行方向を西に変えて進んでいく。途中、秩父神社の前を通った。秩父の市街地の中心に位置しているこの神社によって、秩父は門前町として栄えることとなった。かつてこの辺りの地域が「大宮郷」・「大宮町」と呼ばれたことも、この神社に由来する。
例大祭である「秩父夜祭」は、日本三大曳山祭にも数えられており、多くの観光客が訪れるイベントとなっている。


秩父神社の参拝を済ませ、国道から住宅街の細い道へ入っていくと次の16番札所・西光院に辿り着く。本堂を中心として、中庭を囲むように「札堂」、「回廊堂」などが立ち並ぶ。
秩父三十四カ所すべての寺院にあったものだが、現存しているのはここだけとなっている。かつては、木や金属で出来た「お札」をこの札堂に打ち付けることで納札を行っていた。札所を巡ることを「打つ」と言うのはここから来ている。


17番・定林寺はこじんまりとしたお寺。山門も無く、周囲を民家に囲まれており、ちょっとした公園のような雰囲気がある。「長享二年(1488年)秩父札所番付」によると、このときに定林寺は1番札所であり、秩父郷を起点として順番が振られていたことが示唆される。
定林寺は、アニメ「あの花」こと「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のロケ地として知られており、市街からの観光客が訪れるなど、秩父の活性化にも一役買っている。


家と家の隙間を縫うように細い道を進んでいく。宅地を抜けて国道140号線を渡ると、十八番札所・神門寺。かつてこの地が神社だったときに、植えてあった榊が二股に分かれており、楼門から空を覗くように見えた様子から「神門」と呼ばれるようになったとのこと。


さらに住宅地を進んでいく。かつて坂東三十三観音を勧請した「坂東堂」があった場所からカーブし、「坂東坂」を下る。少し歩けば次の札所に到着する。
十九番札所・龍石寺は本堂が石の上にどんと置かれているようなお寺。実際、巨大な岩盤の上に本堂が建っており、その姿は荒廃した町に一軒だけ残った家屋のよう。小高い場所に位置するので、秩父市街の様子が一望できる。

ここで二日目の巡礼は終了。最寄りの大野原駅から帰宅。

2015/01/17

秩父三十四カ所巡礼の旅 Day2の② 〜丘を登ってまた平地〜



摩耗した案内板。道を覆う土嚢。
これらから示唆されるのは、この道があまり利用されていないことであろう。
10番札所で納経してもらっているとき、写経して頂いたおばちゃんにこの道のことを少し聞いてみた。地図を見せながら「このルートを辿りたいんですが...」と尋ねた所、しばらく沈黙。少し悩まれた後に、「あーあの道ね。あるにはあるけど、しばらく歩いてないからどんな感じか解らないよ。」との回答が。そして別のおすすめルートの案内地図を渡されてしまった。
折角のご好意を反故にしてしまうのは申し訳ないが、私はこの道を行きます。ごめんね、おばちゃん。

登り始めると、結構急な山道であった。日の光はほとんど入ってこず、土の色が見えている幅が小さいことからあまり人が踏み入れていないことが察せられた。
蜘蛛の巣もパワー健在で虫嫌いの私の体を容赦なく襲ってくるので、自然と急ぎ足になっていた。

ここ数日誰も踏み入れていないであろうルートを5分程登ると、開けた場所に到達した。どうやら尾根に到着したようだ。来た道が間違っていなかったことを示すように、「札所十一番」の案内道標が立っていた。
ここからは尾根道に沿って伸びる遊歩道を行く。遊歩道とはいえ、少し見通しがよくなったぐらいで、道の状況は変わらない。
陽のあたらない区間を抜けると、麓の様子がよく見える場所に出てきた。この尾根の一部は秩父市・横瀬町の行政境界となっている。進行方向左側・横瀬町の田園風景と右側・秩父市の住宅街のコントラストが何とも言えない。



尾根の辿っていくと古びた鳥居が連なる場所に突き当たった。上之臺稲荷神社と呼ばれる神社だそうで、鳥居が多く奉納されていることから、地域に根付ている神社なんだろうと思うが、鳥居はだいぶ朽ちており、新規の奉納は少ないんじゃなかろうかと思う。鳥居をくぐりながら山を下る。薄暗いし蜘蛛の巣張ってるし、まあ大変。


鳥居を抜けるとそこは十一番札所・常楽寺だった。
この日は秋分の日ということもあり、彼岸会か何かが行われていたようで、地元の檀家の方が集まって賑わいを見せていた。

次の十二番札所までは1kmちょっとの道のり。参考にしていたマップでは一本道のようなのだが、私は左の箇所でどちらに進めばよいか迷ってしまった。
「巡礼道」の札は左寄りに置いてあるし、左の道のさらに左側は羊山丘陵。古くから丘陵に沿って道が延びててもおかしくないと思ったので左が古道だと考えたのだが…。

先程の分岐を右に行くと、1818(文化15)年の巳待塔が置かれていた。この場所は次の12番寺へ向かう道と13番寺へ向かう道の分岐点でもある。
やはり右が正しいルートなのだろうか…。調査中である。




左右どちらのルートを選んでも、12番札所・野坂寺に到着する。これまで訪問した札所の中でも指折りの広さを持っており、山肌に広がる墓地の数と彼岸で墓参りに来ている参拝者の多さが、古くから地元を掌握しているのがよくわかった。

休憩スペースでは、お茶と梅干しを頂いた。
炎天下の中のハイクで消耗した体力が回復してゆく!チラシで作られた種入れも高ポイントだ!
あまりの落ち着いた気分にどれだけでも長く居れそうだが、まだ本日も先が長いので後ろ髪引かれつつさようなら。
先程の巳待塔まで元の道を戻り、13番寺に歩を進める。
国道140号線にぶつかった箇所から、西武秩父駅方面に延びる道が従来の巡礼道だが、駅ができたことで道は消失してしまった。
この先には道が無いが、電柱に取り付けられた看板がひっそりとかつての巡礼道を案内していた。

寸断された道を迂回すべく、西武秩父駅併設の「西武秩父仲見世通り」をゆく。12年に一度の午年総開帳のということで、札所の案内をしてくれるスペースが設けられていた。札所同様、祈願塔が目印となっており参拝もできるようになっている。おじさんが丁寧に次の13番札所へのルートを教えてくれた。

まだ時刻は正午過ぎ。2日目はまだまだ続きます。