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2022/09/01

【埼玉】たった14年間の命だった「武州鉄道」の路線計画変遷を追う


埼玉県に開業からたった14年で廃業した私鉄があった。

その名を「武州鉄道」と言い、当初は東京都内から日光を目指す路線として計画されていたとされる路線である。しかし、実際には資金難などにより部分的な開業や計画変更を繰り返し、最終的には短期間での廃業を余儀なくされてしまった。

今回はそんな武州鉄道の路線計画の移り変わりや実際に開業した区間を時系列でまとめつつ、埼玉近郊の往時の鉄道事情を考察してみようと思う。あくまで「路線計画の変遷」にフォーカスを当てるため、それ以外の情報については下記参考資料などで補完いただきたい。

なお、東京都三鷹市から埼玉県秩父市を結ぶ計画があった同名の「武州鉄道」という未成線があるが、こちらは今回取り上げる「武州鉄道」とは関連が無いため注意されたい。

武州鉄道誕生前夜の埼玉鉄道事情

明治16年(1883年)日本鉄道第一区 上野〜熊谷間開業
明治18年(1885年)日本鉄道 桶川、吹上、大宮駅新設
明治18年(1885年)日本鉄道 大宮〜宇都宮間開業、蓮田、久喜、栗橋駅新設
明治23年(1890年)日本鉄道 宇都宮〜日光間開業
明治26年(1893年)日本鉄道 蕨駅新設
明治26年(1893年)千住馬車鉄道 千住茶釜橋〜越ヶ谷町 開業
明治29年(1896年)千住馬車鉄道 廃業
明治31年(1898年)草加馬車鉄道 草加町〜大沢間開業

明治32年(1899年)東武鉄道 北千住〜久喜間(後の伊勢崎線)開業
明治33年(1900年)草加馬車鉄道 廃業
明治34年(1901年)忍馬車鉄道 吹上〜行田間開業
明治35年(1902年)東武鉄道 久喜〜加須間開業
明治36年(1903年)東武鉄道 加須〜川俣間開業

明治38年(1905年)行田馬車鉄道設立 忍馬車鉄道の業務を引き継ぐ
明治39年(1906年)日本鉄道国有化 官設鉄道となる
明治42年(1909年)秋葉原〜上野〜青森間を東北本線、大宮〜高崎間を高崎線に名称変更

埼玉県の鉄道の歴史は明治16年(1883年)の日本鉄道第一区の開業にはじまる。日本鉄道は日本初の民間の鉄道会社で、東京から青森に至る長大路線の計画を発端に、埼玉にも鉄道が敷かれることとなった。

その16年後、明治32年(1899年)には東武鉄道が開業した。東武鉄道は既に都心から日光まで繋がっている日本鉄道に対抗する形で、観光需要の高まっていた日光にアプローチしようという計画で路線を伸ばしていった。これにより、それまで千住馬車鉄道や草加馬車鉄道が運行していた路線とほぼ並行するような路線が敷かれ、結果的に沿線の交通転換が行われることとなった。

明治34年(1901年)には忍馬車鉄道が吹上〜行田間で開業した。行田で生産が盛んだった足袋を吹上駅経由で輸送するために、局所的な輸送手段として設立されたもので、その後行田馬車鉄道に業務が移管された。

中央軽便電気鉄道の壮大な計画

明治43年(1910年)国有鉄道 川口町駅 新設
明治43年(1910年)中央軽便電気鉄道 川口〜宮ヶ谷塔間 鉄道免許状下付

中央軽便電気鉄道は綾瀬村(現:蓮田市)、岩槻町(現:さいたま市岩槻区)の有志らを中心として設立され、当初は東武鉄道と同様に日光を目指すことを目論んでいたようである。

計画ルートは下記のとおり。
埼玉縣北足立郡川口町(現:川口市本町付近)より
同郡鳩ヶ谷町(現:川口市鳩ヶ谷本町付近)
安行村(現:川口市安行)
大門村(現:さいたま市緑区大門)を経て
春岡村大字宮ヶ谷塔(現:さいたま市見沼区宮ヶ谷塔)に至る


明治44年(1911年)北武鉄道 北埼玉郡羽生町(現:羽生市中央付近)〜大里郡熊谷町(現:熊谷市)間 軽便鉄道免許状下付
明治44年(1911年)中央鉄道に社名変更 動力を電気から蒸気に変更
大正元年(1912年)中央鉄道 起点終点経過地一部変更

「中央軽便電気鉄道」という壮大な名称は資金調達のためだけだったのかは不明だが、電気から蒸気に変えることで資本金を削減することとなった。それに伴う起点終点の変更理由は、
・電気鉄道から蒸気鉄道に変更した結果、官線川口町停車場付近を通過したほうが便利と考えたため
・宮ヶ谷塔付近は湿地で鉄道敷設に不便であり、工事上と地元の希望により岩槻町に変更するほうが良いと考えたため
とのことである。変更された経過地は下記ルートとなる。

埼玉縣北足立郡川口町(現:川口市本町付近)両端荒川堤防際の起点とし
同町官線停車場(現:川口駅)を経て
同郡鳩ヶ谷町(現:川口市鳩ヶ谷本町付近)
安行村(現:川口市安行)
戸塚村(現:川口市戸塚)
大門村(現:さいたま市緑区大門)
野田村(現:さいたま市緑区中野田)
及同縣南埼玉郡和土村(現:さいたま市岩槻区真福寺・浮谷など)
柏崎村(現:さいたま市岩槻区柏崎)を経て
岩槻町(現:さいたま市岩槻区本町付近)に至る


大正2年(1913年)中央鉄道 岩槻町〜忍町間 鉄道免許状下付

岩槻以北について、忍町(行田)までの鉄道敷設が認可された。ルートは下記の通り。

埼玉県南埼玉郡岩槻町より
河合村(現:さいたま市岩槻区)
綾瀬村(現:蓮田市)
平野村(現:蓮田市)
大山村(現:白岡市)
三箇村(現:久喜市)
菖蒲町(現:久喜市)
及北埼玉郡鴻茎村(現:加須市)
水深村(現:加須市)
高柳村(現:加須市)
加須町(現:加須市)
禮羽村(現:加須市)
志多見村(現:加須市)
太田村(現:行田市)
長野村(現:行田市)
を経て忍町(現:行田市)に至る

国鉄の蓮田駅、東武鉄道伊勢崎線の加須駅での接続を視野に入れた計画だったようである。


大正4年(1915年)大門〜川口間経路変更申請

起点を川口から蕨町に変更した。理由として述べられているのは以下の通り。
・沿道の苗木業の発展と、川口町付近の工業発展により地価が暴騰し、用地の買収が不可能になってしまった。
・用地費と乗客貨物を集約する利益を検討したところ、起点を隣接地である蕨町に変更することが望ましいと判断した。
資金も十分に確保できておらず、高騰する用地の確保に苦慮していることが伺える。

命からがら開通した武州鉄道

大正7年(1918年)北武鉄道 軽便鉄道免許失効(北埼玉郡羽生町〜大里郡熊谷町間)
大正8年(1919年)北武鉄道 鉄道免許状下付(北埼玉郡羽生町〜大里郡熊谷町間)
大正8年(1919年)中央鉄道 武州鉄道に社名変更
大正10年(1921年)北武鉄道 羽生〜行田駅間開業
大正11年(1922年)北武鉄道 熊谷〜行田駅間開業、秩父鉄道と北武鉄道が合併して秩父鉄道となる
大正12年(1923年)東武鉄道日光線 鉄道敷設免許状下付(南埼玉郡百間村〜栃木県下都賀郡家中村)
大正13年(1924年)武州鉄道 蓮田〜岩槻駅間開業

「中央」鉄道という壮大で抽象的な名前は、より小さく具体的な「武州」鉄道に改められた。その上で、少しでも早く工事・運営費用を捻出するため、計画路線のほんの一部である蓮田〜岩槻間を開業することとなった。

岩槻駅は現在の東武アーバンパークライン岩槻駅の場所よりも東側、岩槻町の東端・現在のさいたま市立岩槻中や太田小がある位置に設けられた。

そうこうしているうちに、北武鉄道が秩父鉄道に合併し、東武鉄道伊勢崎線の羽生駅と国鉄の熊谷駅間が繋がった。忍町の北側に行田駅(現:行田市駅)が設けられ、これにより武州鉄道が忍町まで延伸するメリットががくっと下がってしまった。


大正14年(1925年)武州鉄道 岩槻北口駅を新設

岩槻町の北端(現在の岩槻区宮町一丁目・日の出町六丁目境界の五叉路付近)に岩槻北口駅が設けられた。岩槻町の北側と南側に駅を設けて利便性の向上を目指したものと考えられる。


大正15年(1926年)武州鉄道 河合駅新設
大正15年(1926年)北総鉄道 鉄道免許状下付(野田町〜大宮町)

蓮田〜岩槻北口間に河合駅が新設された。元々中間駅をもう少し岩槻寄りの箕輪に設ける予定だったが、用地買収に手間取り工事竣工を何度も延期していた。その代替策として河合駅が設置される運びとなった。


昭和3年(1928年)武州鉄道 鉄道免許状下付(鳩ヶ谷町〜岩淵町)
昭和3年(1928年)武州鉄道 岩槻本通駅新設
昭和3年(1928年)武州鉄道 岩槻〜武州大門駅間 延伸開業
 浮谷駅、笹久保駅、武州野田駅、武州大門駅新設

鳩ヶ谷以南についても赤羽駅までの鉄道敷設が許可された。ルートは下記の通り。

埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(現:川口市)
同 同 南平柳村(現:川口市の南平地域)
同 北豊島郡岩淵町(省線赤羽停車場)(現:東京都北区赤羽付近)

赤羽駅への接続は、国鉄貨物線の廃線を利用してコストカットを図る想定だったという。

同年、岩槻駅と岩槻北口駅の中間に岩槻本通駅が新設された(現在の県道2号と6号の交点・渋江交差点あたり)。これにより岩槻町の北・中央・南に駅が設置され、利便性が高まった。

さらに岩槻以南、日光御成道の宿場町であった大門宿の付近まで延伸開業した。依然として資金繰りに難航しており、少しずつでも延伸開業をしていかざるを得ない状況となっていた。


武州鉄道包囲網、そして廃線へ

昭和4年(1929年)東武鉄道日光線 杉戸〜新鹿沼間開業 同年に新鹿沼〜下今市間、下今市〜東武日光間開業
昭和4年(1929年)北総鉄道 粕壁〜大宮間開業
昭和4年(1929年)北総鉄道 総武鉄道に社名変更
昭和5年(1930年)武州鉄道 真福寺駅新設

東武鉄道の勢いは凄まじく、杉戸から東武日光駅までの東武鉄道日光線を一年間で全通させた。全区間が複線電化、浅草駅からの直通運転などの強みを持ち、国鉄よりも優位に日光への観光客輸送を実現したのである。※国鉄は昭和34年(1959年)に日光線全線を電化している。武州鉄道の当初の目標であった「日光延伸」を目指す理由が(既に諦めていたとは思うが)決定的に失われてしまった。

また同年には北総鉄道が粕壁〜大宮駅間を開業させ、東武伊勢崎線と国鉄を短絡させる路線を完成させた。このとき開業した岩槻町駅は岩槻町の北西に位置し、武州鉄道の駅とは全くの別物という位置づけであった。ただ都心への乗り入れの利便線などで岩槻町民の鉄道利用が総武鉄道に多く流れ込み、これまで岩槻町を中心に路線を伸ばしてきた武州鉄道にとっては致命的な状況となった。

武州鉄道は利便線の向上を図るため、岩槻駅と浮谷駅の間に真福寺駅を設けている。


昭和6年(1931年)武州鉄道 馬込駅新設

蓮田駅と河合駅の間に乗客輸送目的の駅として、集落規模もそれなりにあった馬込に新駅を設けた。


昭和10年(1935年)武州鉄道 鉄道免許取消(蓮田〜行田間)
昭和10年(1935年)武州鉄道 鉄道免許取消(鳩ヶ谷〜赤羽間)

蓮田〜行田間は建設用地取得が進まず、免許下付から20年以上手付かずの状態であった。それまで工事竣工の延長を何度も繰り返して免許を維持していたのだが、流石に実現性が低いと鉄道省に判断され、直近の延期申請が却下され、期限までに工事竣工できずに該当区間の免許が失効となった。

鳩ヶ谷〜赤羽間については、武州大門〜蕨間と合わせて鳩ヶ谷〜川口間の1つの路線にまとめることを画策していた(昭和8年(1933年)に変更申請提出)。鳩ヶ谷〜赤羽間は荒川橋梁の架橋と赤羽駅周辺の用地確保に膨大な費用がかかること、武州大門〜蕨間は自動車の進出と省線の電化によりこの区間に鉄道を敷く必要がなくなったことを理由として挙げている。これにより、鳩ヶ谷〜赤羽間の延期申請が却下されたことで、期限までに工事竣工ができずに免許失効となった。


昭和11年(1936年)武州鉄道 武州大門〜神根駅間 延伸開業
 下大門駅、行衛駅、神根駅新設

鳩ヶ谷町の手前、神根村石神(現在の川口市石神)まで延伸できた。以南の路線延長については資金が足りずに工事竣工の延期を繰り返す事態に陥っていた。


昭和13年(1938年)武州鉄道 全線廃止

経営状況は全く振るわず、鉄道としての存在意義も怪しい実情。武州鉄道の債権者である武州銀行が無警告で鉄道省に強制執行を申請する事態となった。猶予を願い出たが聞き入れる様子もないため、もはやこれまで。自主的に会社の解散を断行したのである。

廃線後にも息づく武州鉄道

いつの間にか開業し、そしていつの間にか廃業した武州鉄道であるが、廃業後に一部の廃線跡は車道に転用されることとなった。

笹久保駅と武州野田駅の間にある柳瀬川橋梁あたりから神根駅までの廃線跡は埼玉県に買収され、その後国に買収されると昭和38年(1963年)に国道としての整備が開始される。そして、昭和45年(1970年)に国道122号の岩槻鳩ヶ谷バイパスとして開通した。その10年後、昭和55年(1980年)にはバイパスに沿って東北自動車道が開通し、国内最長の高速道路の一端を担うこととなった。

鉄道時代には日光を目指し邁進して頓挫した武州鉄道だが、廃線後は日光どころか青森まで繋がる道路の一部になっているというのは、なかなか感慨深い。

また、平成13年(2001年)には埼玉高速鉄道線埼玉スタジアム線が開通し、赤羽岩淵から鳩ヶ谷を経由して浦和美園駅に至るという、武州鉄道が整備しようとしていたルートに近い路線を実現した。

その後、北上して岩槻・蓮田に伸びる路線が計画されており、令和3年(2021年)には埼玉県とさいたま市が連携して岩槻延伸に取り組むことが発表されている。

かつての轟音はどのような音を沿線に響かせるのであろうか。

参考文献