気の向くままにつらつらと。

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2018/11/14

【歩き旅】水戸街道 Day2 その② 〜小金牧を抜けて〜



北小金交差点で国道6号を横切ったあたりから、小金宿の宿域に突入する。

門の朱色と「金龍山」の扁額が印象的な寺院が見えてくる。ここ一月寺はもともと虚無僧寺で有名な普化宗(ふけしゅう)という宗派の関東総本山であった。当時は「いちげつでら」という名前であったが、普化宗が江戸幕府との繋がり強かったことから明治政府により解体された。
その後、一月寺は日蓮正宗に宗派替えし、寺名も「いちがつじ」に改めている。


小金宿は南北約1kmに渡って広がる大規模な宿場であった。元々、小金城の城下町として発展した集落から発展し、江戸時代には幕府の軍用牧場である小金牧に近いことから重宝されていた宿場である。
宿場にある目を惹く旧家は、旅籠であった玉屋である。建物自体も江戸末期に建てられたもので、今なお民家として利用されている非常に珍しいものである。


現在の小金宿は町域のほとんどが住宅地となっており、旧家も先程の玉屋を除くとほとんど残っていない。地図を見てみると、小金宿域の西側には「小金清志町」、東側には「小金きよしケ丘」と似たような名前の町名がある。これはドラッグストア「マツモトキヨシ」の創業者で松戸市長でもあった松本清氏にちなんでいる。町名が付けられたのはどちらも松本清氏が市長になる前のことであった。戦後に政治家の名前が地名になる例は非常にレアケースとのこと。


左手に規模の大きな寺院の境内と山門が見える。こちら東漸寺は文明13年(1481年)開創の古刹である。当初は根木内にあったが現在地に移設され、江戸時代初期に浄土宗の檀林(僧侶の養成機関・学問所)をまとめた「関東十八檀林」の一つに指定された。
境内には松などが整然と植えてあり、その由緒の正しさと寺院の格の高さを物語っている。


小金宿は北小金駅手前で左に90度折れ曲がる。ここに小金宿の説明板が立っている。


道の向かい側には石碑が3つ並んでいる。
一番大きいものは「八坂神社御跡地」の碑で、小金城主であった高城氏によって八坂神社が建立されていたのだという。神社は昭和48年(1973年)に400mほど西側に移転した。
真ん中の風化が進んでいる石碑は、明和5年(1768)年建立の道標。「右 水戸海道」と刻まれている。左端の石碑も道標で、建立年はわからないが江戸時代のものとされ、「右 水戸道中 左 なかれ山へ」と刻まれている。
この道を真っ直ぐ進む道は日蓮宗である本土寺の参道であった。アジサイ寺として有名で、「北の鎌倉」とも呼ばれているという。


街道を進んだ先、左手に広がる小山と広場は根木内歴史公園である。根木内城は寛正3年(1462年)に高城胤忠による築城とされ、天文6年(1537年)に小金城ができるまで、高城氏の拠点であった。
現在では城址の中央を国道6号が分断しており、西側は宅地開発で消失してしまっている。

根木内城址橋で上富士川を渡り、坂を登った辺りから柏市へと突入する。道の脇に庚申塔が2基鎮座していた。左が享保9年(1724年)、右が宝暦12年(1762年)のもの。やはり市堺には庚申塔が置かれていることが多い。


江戸時代初期の創建とされる香取神社の境内に一里塚の碑がある。かつてこの場所には江戸から7番目の一里塚が設置されており、榎が植えられていたという。昭和16年(1941年)の道路拡張によって、塚は消滅した。
碑には小林一茶が小金牧について詠んだ句「下陰を さがしてよぶや 親の馬」が刻まれている。


南柏駅を通り過ぎると、見えてくる鬱蒼とした森は八坂神社のもの。
かつてこの辺りの街道沿いには松並木があり、街道の道しるべの役割を果たしていたという。昭和50年代まで並木は存在していたようだが、周囲の開発や松の老木化などにより、現在では残っていない。


旧日光街道交差点から伸びる道は、日光街道石橋宿と雀宮宿の間に至る「日光東往還道」と呼ばれる官道であった。途中、関宿や結城宿、多功宿を通るため、関宿道、結城街道、関宿通多功道などとも呼ばれた。


2つの神社が合わさって鎮座していた。別雷神社は茨城県の金村別雷神社の写しを勧請したもの。金村別雷神社は関東三雷神の一社ともされ、承平元年(931年)に京都の賀茂別雷神社より分祀したもの。悪事災難除けを祈ったものと考えられる。
一方の稲荷神社は愛知県の豊川稲荷神社より分祀したもので、五穀豊穣を祈願して祀られたのであろうか。
どちらも明治3年(1870年)創建で、明治29年(1896年)に現在地に遷座された。


赤い幟が立ち並んでいるのは昭和40年(1965年)創建の豊受(ゆたか)稲荷神社。神仏混淆の稲荷神社で、かしわ七福神の福禄寿を祀っている。福絵師「あず之助」氏による手書きの福絵付き御朱印が人気とのことで、季節によって異なる絵柄の御朱印を戴くことができる。


開けた場所に神明神社が鎮座していた。所在地は柏市富里であるが、元々この地は豊四季の一部だったという。
慶長年間に江戸幕府による軍馬育成を目的とした放牧地として「小金牧」と「佐倉牧」が成立。明治に入ると開墾対象となり、開墾順に「初富」「二和」「三咲」「豊四季」「五香」「六実」「七栄」「八街」「九美上」「十倉」「十余一」「十余二」「十余三」と名付けられた。開墾事業により、それまで武士だった人などが職を求めて入植し、豊四季に移り住んだ。その住人達の拠り所として創建されたのがこの神明神社だという。


柏駅前が近づくにつれ、街道にも人通りが増えてきた。そんななか辿り着いたのが柏神社である。
寛文元年(1661年)、八坂神社として創建し、明治21年(1888年)に近くにあった羽黒神社を当地に移設。昭和49年(1974年)に社名を柏神社に変更した。ちょうど南柏駅前あたりから柏神社前までは小金牧の一つ・上野牧が広がっており、水戸街道はその中を突っ切る形で延びていた。牧は野馬土手で囲まれ、街道の出入口には木戸が設けられていた。

本日はここまで。柏駅から常磐線に乗って帰宅した。

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