名所江戸百景:広尾ふる川 -きつねとたぬきと原っぱと-

名所江戸百景には川を題材にした作品が数多くある。
その中の一つ「広尾ふる川」を一言で言い表すなら「地味」である。
この風景には一体どのような名所が描かれているというのだろうか。
まず注目するのが、画面中央に流れる河川にかかる橋であろう。
タイトルからもわかるように、この川は「古川」である。
古川は天現寺橋を境に渋谷川と接続されており、浜松町で東京湾へと流入していく二級河川である。
参考:渋谷川・古川流域連絡会 : 渋谷川・古川流域図
江戸当時古川に架けられていた橋は、河口から金杉橋、将監橋、赤羽橋、中之橋、一之橋、二之橋、三之橋、四之橋とあり、描かれているのは「四之橋」である。
上図は江戸切絵図から「東都麻布之繪図(1857年・安政4年)」より、四之橋周辺を抽出したものである。
(左が北を指していることに注意)
橋の脇に「相模殿橋ト云」の表記があるように、四之橋は「相模殿橋」として親しまれていた。
相模殿とは、橋の北西にあった「土浦藩主土屋相模守の下屋敷」を指す。
東都麻布之繪図では「土屋采女正」と表記されている位置である。
この采女正(うねめのかみ)は、官位従五位下で、采女と呼ばれる女官を管理する立場にあった役職である。
土浦藩土屋家では、第十代藩主土屋寅直(つちやともなお)が1837年(天保8年)に采女正を叙位されている。
さて、ここまで四之橋の話を進めてきたが、この橋がこの地を名所と言わせしめている所以かといえば、そうとは言い難い。
次に注目するのは「広尾ふる川」の橋の袂。よくよく見てみると、二階席まで客で賑わう料亭のような建物があるではないか。
この店は「狐鰻」という鰻の店である。
狐鰻が店を構える以前、四之橋には「尾張屋藤兵衛」というしるこの店があった。
「狐が化けて食べにくるほど美味しい」と評判になり、いつしか「狐しるこ」と呼ばれるようになったという。
勢いに乗った狐しるこは、その後京橋三十間堀へと移転していった。
残された四之橋の地を「狐」を冠して引き継いだのが、「狐鰻」である。
1852年(嘉永5年)発行の「江戸前大蒲焼番付」では、世話役に「麻布 狐鰻」の名がある。(参考:東京都立図書館 6....