【歩き旅】大山街道 Day6 その① 〜いくつもの市を越えて〜
大山街道歩き6日目は鶴間駅よりスタート。しばらくは国道246号の旧道区間を進む。大和斎場入口の交差点で右に入り細い道へ。大和斎場入口前に矢倉沢往還の道標がある。
その道標の隣にあるのが西鶴寺。非常に小さな寺院で由緒等イマイチわからない。この辺りは下鶴間村(現大和市)・上草柳村(現大和市)・栗原村(現座間市)が交わる場所。引地川の源流でもあり「水の牛王(みつのごおう)」と呼ばれていたという。これは「三つの郷」が転訛したものとも言われている。
南西方向に一直線に伸びる街道は国道246号で寸断される。相模向陽館高校交差点まで迂回して対岸へ渡る。再び一直線に進んでいくと、さがみ野二丁目交差点に大山街道の道標がある。進行方向右手が座間市さがみ野、左手が海老名市東柏ケ谷であり、街道が市境になっている。
ここから先、目ぼしいウェイポイントもなく相模鉄道さがみ野駅前を通過し、大塚本町交差点を渡ると、今度は右手が海老名市柏ケ谷、左手が綾瀬市寺尾北となる。
パブコ相模工場の広大な敷地が見えてきた辺りで少々街道を外れてみる。住宅街方面へ台地を上っていくと、なにやら石碑と石桶?のようなものが置いてある。火山灰を積み上げて造られたの富士塚とのことだが塚感はない。石碑は庚申塔で文化3年(1806年)のものだというので、歴史はそれなりにあるようだ。
街道に戻り、少し進むと銀杏の木の袂に古びた石造が置かれていた。こちら赤坂道標と呼ばれるもので「左江戸道」「神奈川道」と刻まれているという。宝暦6年(1756年)の道標のようで、正面には百万遍供養の文字があったようだが風化が激しく読めない。上部には不動明王座像が乗っている。
ゆるい登り坂を進むと、花壇の脇に細長い道標がある。「右...