【歩き旅】水戸街道 Day5 その③ 〜石岡の歴史を堪能する〜
恋瀬川を渡り石岡市へ。「石岡」は明治時代からの地名で、以前は「府中」と呼ばれた。これは律令制が設置された7世紀に、常陸国の国府が置かれたことに由来するものである。
国道355号からさらに一本旧道へ入った住宅街の一角に、ひっそりと佇んでいる神社も、律令時代のこの地を語る材料となる。
この神社は日天宮と呼ばれ、国府が設置されたと同時期に建立されたとされる。石岡には同時期に建立されたとされる神社が他に月天宮、星の宮(現在は常陸国総社宮に合祀)とあり、当時の人々が民間信仰として天体を崇拝していたことがわかる貴重な史料となっている。
街道沿いに金刀比羅神社があった。江戸時代の金比羅信仰の流行に乗って、文政10年(1827年)に造営されたもので、もともとこの地には平氏ゆかりの森が広がっていたとされる。社殿は平成12年(2000年)に火災に見舞われ、平成19年(2007年)に再建されたものである。
石岡は火災の多い町として知られているようで、明治時代に4回、大正時代に1回の大規模火災に見舞われている。火災に対する備えは他一倍していたが、昭和4年(1929年)に起きた「石岡大火」での被害により、街並みは殆ど失われてしまった。
しかしその後の復興事業では、街道にガス灯や街路樹が植えられ、商家は看板建築で彩られ、近代的な街並みへと生まれ変わった。
丁子屋は江戸末期に建てられた商家建築。昭和4年(1929年)の石岡大火で唯一残った商家建築である。石岡大火は関東大震災での被害を上回り、石岡町の4分の1が焼失している。
かつては染物屋を営んでいたが、現在では観光施設「まち蔵...