気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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気の向くままにつらつらと。

2024/11/03

【歩き旅】北国街道 Day7 その④


本町まで戻ってきた。ここから司令部通りを東に進み、高田城へと向かっていく。司令部通りは明治41年(1908年)に陸軍第13師団司令部が高田城に入城した際に、城から街道までの道筋を直進できるように整備したことにちなんでいる。市の橋で青田川を渡る。青田川は高田城の外堀の役目を果たしていた。かつての市の橋はここから少し南側に設けられた馬出しから架橋されていた。大手町公園に「絵図で探る高田の城下町」という説明板があった。この絵図は正保城絵図と呼ばれ、築城から約30年後の高田城と城下町の様子が描かれている。高田公園の一角に高田城の大手橋跡の碑...

2024/11/02

【歩き旅】北国街道 Day7 その③


青田川放水路を越える。青田川は市街地を流れており、氾濫対策のための河道拡張が困難な状況であった。そこで市街地に差し掛かる手前で青田川を分水したのが青田川放水路。右手に関町神明宮が現れる。高田城の南西に位置し、裏鬼門を鎮護している。かつては春日山にあったが、慶長5年(1600年)に福島(現:直江津)、慶長17年(1612年)に出雲町(現:南本町1丁目)、寛永3年(1626年)に現在地に移転した。南本町二丁目交差点で左に折れる。何度も90度に道が折れるのは城下町特有の防御力を高める工夫である。最賢寺の前に「400年の歴史と文化の町」の説...

2024/11/01

【歩き旅】北国街道 Day7 その②


地蔵尊の少し先に、出雲大社越後石沢講社があった。明治17年(1884年)に出雲大社より認可を得て、郷土の反映と産業振興を祈願して建立された。平成27年(2015年)に講社建立130年を記念して社殿を改築した。街道沿いには「出雲大社本殿跡地」の碑が置かれている。石沢には江戸時代に杵築大社(現在の出雲大社)の分社があり、御師の宿場もあったというが、これがその跡地なのだろうか。あるいは昭和31年(1956年)の社殿改築や昭和57年(1982年)の拝殿移築の跡地だろうか。道を挟んで向かいには馬頭観音碑がある。北陸新幹線の高架下をくぐると、明...

2024/10/31

【歩き旅】北国街道 Day7 その①


7日目は新井宿よりスタート。いきいきプラザ前に高田宿の案内板があった。新井宿は北国街道と飯山道の分岐点としてだけでなく、古くから河川交通の要衝として開かれていたという。いきいきプラザの横には市神社がある。新井宿では応永年間初期頃から6の日と10の日に六斎市(月に6回市が開かれる)が立つようになったという。市神社は六斎市の守り神。戦国時代には宿場が開かれ、天正3年(1575年)に上杉謙信が和田氏を「荒井町問屋」に任じて、伝馬宿送等の業務を担わせている。延宝9年(1681年)に高田藩が改易されると、新井宿は天領となり、新井陣屋が置かれるようになった。貞享2年(1685年)に稲葉氏によって高田藩は復活したものの新井宿はしばらく天領のままだったが、文化6年(1809年)に榊原政敦によって再び高田藩領となった。大鹿屋時計店の外装に「北国街道」「ARAI...