気の向くままにつらつらと。

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2015/06/07

秩父三十四カ所巡礼の旅 Day4の② 〜地形を味わう〜



大渕寺を出ると、巡礼道は大渕寺を背にして丘陵から離れるように進み、秩父鉄道を横切る。そう思ったのも束の間、進路は再び90度折れ、民家と線路の間の道を西へ向かう。

暫く進むと道は突き当たり、「この先行き止まり」の不穏な看板が目に飛び込んでくる。「巡礼道」の標がなければ先に進むのも躊躇してしまいそうになる。
さらに進むと何やら薄暗い道に突き当たる。どうやら琴平ハイキングコースの一部として車両通行が禁止されている道のようで、丘陵沿いの未舗装路は両側から延びる木々によって日差しを和らげてくれる良道だった。


橋立浄水場の前には「影森用水之碑」などが置かれている。かつての影森村には井戸が2つあるのみで生活用水を得るのが困難だった。これを嘆いた地元の名主「関田宗太郎」が私財を投じて用水を建設し、安政2(1855)年に各戸に水を引くことに成功したという。
大正13(1922)年には埼玉県初の近代浄水場である橋立浄水場が建設されるなど、影森は水と縁がある地のようだ。


28番札所・橋立堂に到着。
本堂の背にある巨大な岩壁に目が奪われる。
本尊の「馬頭観世音」は日本百観音の中でも橋立堂を含めて2カ所にしかなく、非常に珍しい。
この場所は武甲山への登山口につながる拠点となっており、本堂下の広場にはカフェや休憩所などが設けられている。この日も観光客や登山客で賑わっていた。

観光客が集まるコンテンツがもう一つある。「橋立鍾乳洞」だ。
かつて橋立堂の奥の院としての役割を持っていた洞で、その3分の2が縦穴という高低差の激しい鍾乳洞である。
中に入ってみると、体がぶつかるような狭い箇所が多く、中腰での移動を余儀なくされる。かと思えば、天に昇るかのごとくそびえる鉄の階段が現れ、これをひたすら登る。
高所が苦手な私にとっては、洞窟の涼しさ以上に体が冷える体験だった。

橋立堂を後にして巡礼の道へ。
来た道を戻りながら浦山口駅方面へ向かう。お墓などが立ち並ぶ細い道を進んでいくと、お寺の脇に向かう道やキャンプ場への入口などがあるが、そちらは間違い。道なりに進んでいけば心求・はまの道標石があるので正しいルートだとわかる。
道標石の脇、久那区集会所の脇にある連鳥居の稲荷(名称不明)はなかなかの情緒と味わいを醸し出していた。
さらに進んで再び道標石。
「みぎ二十九番 ひだり日原」と彫られているそうだ。日原は奥多摩の日原(にっぱら)を表すのだろうか。かつて「日原みち」なる尾根道がここから日原へ繋がっていたようだ。
本来の巡礼道はここから浦山川を渡しで横切るルートを採るが、現在は通行できない。
迂回路を進むと芭蕉句碑が置かれている。
元々は諸下橋脇、秩父甲州往還の浦山川渡河地点に置かれていたもののようだ。
この諸集落はかつてこの地が久那村だった時代の中心地だったようで、少し手前には高札場跡も(礎石のみだが)残されていた。

諸上橋より浦山ダムを臨む。重力式コンクリートダムとしては全国2位の堤高を持つ巨大ダムで、エレベータを使って堤防上に上がれば、上流の「秩父さくら湖」を臨むこともできる。
またその開けた環境から、様々な特撮物の撮影地となっており、最近の仮面ライダーシリーズでは、毎年1度は舞台となる地でもある。

もう少しで29番寺!

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