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2021/03/28

【歩き旅】山の辺の道 Day1 その①


 
今回の旅はJR奈良駅を拠点に据え、2日間に分けて決行することにした。1日目のスタートは「万葉まほろば線」の愛称が設定されているJR西日本の桜井線に乗って30分、桜井駅が起点となる。


山の辺の道として指定されている道は桜井駅前が起点ではなく、駅から北東へ進んだところになる。その地点までの道程には案内板がいくつも設置されているため、迷うことなく移動できるはずである。


大和川(初瀬川)を馬井手橋で渡れば、ここが山の辺の道の起点に指定されている。ここから先、万葉集の句を刻んだ碑が道沿いに点在していて、歩き旅を盛り上げてくれる。


橋の傍に「仏教伝来の地」碑がある。日本書紀によると、552年に百済の聖明王の使者が釈迦仏の像などをこの地に献上し、仏教を公式に持ち込んだという。そこから、この場所を山の辺の道の起点としている。


仏教伝来碑の隣には三輪川(初瀬川)の流れを歌った、詠み人知らずの句。


山の辺の道を案内に沿って歩き始める。県道199号に出たところに古そうな道標があり、「左 いせ はせ 道」と刻まれている。ここから東に進んだ山間に、長谷寺の門前町として栄えた「初瀬(はせ)」集落があり、さらにいくつかの峠を越えていけば伊勢にたどり着く。この道は大和の東西の行き来を支える街道であった。


少し進むと再び万葉句碑。「海石榴市(つばいち)の辻」が題材となっており、まさにこの場所での出来事を詠んだものである。


ここから右手に折れた先に「海石榴市観音堂」がある。仏教が伝来したこのあたりは「海柘榴市」と呼ばれ、7世紀頃には市場が形成され、舟運の港も設置されるなど交通の要衝であった。
平安時代には伊勢詣でや長谷観音詣での参拝客を相手にした宿場も形成された。その際に建てられたとされるのが、海柘榴市観音堂である。


道なりに進むと、収蔵庫のような建物がある。この中に「金屋の石仏」と呼ばれる2体の石仏が安置されている。


板碑になんとなく人型が彫られているのがわかるが、向かって右側が釈迦如来像、左側が弥勒菩薩像と言われ、国の重要文化財になっている。


磯城県坐(しきのあがたぬし)神社の境内に、第10代崇神天皇磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)、つまり崇神天皇の皇居の推定地とされる案内があった。
天皇の歴史には伝説的なものも含まれているが、崇神天皇以降は実在したと言われており、地方へ将軍を派遣して国内の平定に努めたりするなどの功績も遺している。


道は鬱蒼とした林の中を進む。そこに平等寺があった。聖徳太子が建立したと伝わる寺で、室町時代に東西500m、南北330mもの広大な敷地を有していたという。一時は廃仏毀釈により廃絶していたが、昭和52年(1977年)に再興された。


平等寺を過ぎると、右手に鳥居が見えてくる。この一帯は「大神(おおみわ)神社」の境内で、三輪山を御神体として崇めている。そのため、本殿は無く、拝殿から三輪山を遥拝する形での参拝となる。その歴史は古く、日本最古の神社の一つとして知られる。


街道から少し離脱し、三輪山を一望できる場所まで離れてみる。一段と目立つ大鳥居は、昭和59年(1984年)の昭和天皇御親拝を記念して建立したもので、昭和61年(1986年)に竣工したものである。高さ32.2m、柱間23mで、日本第2位の大きさを誇る鳥居となっている。


摂社の狭井(さい)神社に立ち寄る。拝殿の奥に「薬井戸」と呼ばれる井戸があり、この水を飲めば色々な病が治るのだという。
かつては禁足地であった三輪山だが、現在では登拝が可能となっている。登拝には狭井神社での受付が必要で、登拝中の写真や映像の撮影は禁止されている。往復2、3時間かかるというので、今回は遠慮した。


途中、玄賓庵(げんぴあん)の門前を通る。重要文化財の不動明王が祀られているが、見学には予約が必要。世阿弥作と伝わる「三輪」という謡曲に登場し、作中では玄賓が三輪明神の化身である女性と出会った場所となっている。


道は大神神社の摂社である桧原神社の境内に繋がる。鳥居の形は明神型鳥居を3つ横に並べた「三ツ鳥居」。三輪鳥居とも呼ばれ、大神神社の拝殿と禁足地である三輪山の境界にもこの形状の鳥居が設けられている。天照大神が現在の伊勢神宮に遷座する前に一時的に鎮座した場所の一つとも言われており、周辺は「元伊勢」と呼ばれている。


檜原神社の鳥居から真っすぐ伸びる道の先には、二上山(にじょうさん)がある。奈良県と大阪府の境にあたる二上山は雄岳と雌岳が並ぶ美しい形をしている。二上山と檜原神社は北緯34度32分線上に並ぶことから、古代からの太陽信仰に関わる「レイライン」説が囁かれている。春分と秋分の日前後には二上山の雄岳と雌岳の間に夕日が沈むことから、フォトスポットとして多くのカメラマンで賑わうという。

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