気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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気の向くままにつらつらと。

2022/09/01

【埼玉】たった14年間の命だった「武州鉄道」の路線計画変遷を追う


埼玉県に開業からたった14年で廃業した私鉄があった。その名を「武州鉄道」と言い、当初は東京都内から日光を目指す路線として計画されていたとされる路線である。しかし、実際には資金難などにより部分的な開業や計画変更を繰り返し、最終的には短期間での廃業を余儀なくされてしまった。今回はそんな武州鉄道の路線計画の移り変わりや実際に開業した区間を時系列でまとめつつ、埼玉近郊の往時の鉄道事情を考察してみようと思う。あくまで「路線計画の変遷」にフォーカスを当てるため、それ以外の情報については下記参考資料などで補完いただきたい。なお、東京都三鷹市から埼...

2022/08/13

【歩き旅】北国街道 Day4 その③


「十五丁」と刻まれた石が置かれていた。この善光寺までの距離を表した丁目石をカウントダウンしながら善光寺を目指す。かるかや山前交差点を超えた右手に西光寺がある。創建した苅萱(かるかや)上人には妻子がいたが、出家後に訪問されるのを嫌い、それまでいた京都から高野山へ移る。子の石堂丸が後を追って尋ねるが、苅萱上人は父であることを隠し、父は他界したと嘘を教える。この話に嘆いた石堂丸は苅萱上人に弟子入りを懇願し、しぶしぶ許可されるが、その後再び一人で旅に立ち、善光寺如来に導かれて正治元年(1199年)にこの地に草庵を開いたものが西光寺の始まりで...

2022/08/12

【歩き旅】北国街道 Day4 その②


丹波島橋で犀川を渡る。明治6年(1873年)に46艘の船を並べた舟橋が架橋され、明治23年(1890年)には木橋が架けられた。当初の舟橋・木橋は民間会社で運営されていて有料だったが、明治30年(1897年)に県に移管され、無料の橋となった。現在の橋は昭和61年(1986年)に架橋され、舟橋から数えて4代目にあたる。橋には各時代毎の様子を描いたレリーフが埋め込まれている。絵にもあるように犀川の流れは急だったため、両岸に綱を渡し、それを手繰り寄せながら渡る方法で渡船を行っていた。風に煽られ帽子が飛ばされそうになりながら、そして謎の羽虫に...

2022/08/11

【歩き旅】北国街道 Day4 その①


4日目は川中島駅よりスタート。川中島駅交差点で街道へ復帰する。少し進むと左手に新田共同井戸がある。明治10年台に新田組二十三戸の共同井戸として採掘されたもの。昭和30年(1955年)に上水道が整備されるまで常用されていた。丹波島交差点の手前に「浄生庵」の扁額がかかったお堂があった。これは元禄年間に丹波島宿の問屋を営んでいた柳島市郎左衛門によって創建された観音堂(浄生庵)で、祠の中には観音菩薩と延命地蔵尊が安置されている。丹波島交差点を直進すれば丹波島宿となる。ここに宿場の案内板があったが、水準点までプロットされているのは珍しく感じた...

2022/08/10

【歩き旅】北国街道 Day3 その④


屋代信号で国道18号に合流する。「市道升の浦線」の案内に沿って側道に入り、用水路沿いの道を進む。北陸新幹線の線路を頭上に見ながら、長野自動車道更埴ICのトンネルを抜ける。土手に突き当たるがかつてはこの道の延長線上を屋代の渡しで千曲川の対岸に渡っていた。ここからかなり東に迂回していき、篠ノ井橋で迂回して千曲川を渡る。篠ノ井橋は明治5年(1872年)に12艘の船を並べて作られた舟橋を起源とし、明治22年(1889年)に木橋が架橋された。現在の橋は昭和47年(1972年)に架替えられた橋を平成6年(1994年)に道路拡幅工事に伴い拡張した...