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2022/08/12

【歩き旅】北国街道 Day4 その②



丹波島橋で犀川を渡る。明治6年(1873年)に46艘の船を並べた舟橋が架橋され、明治23年(1890年)には木橋が架けられた。当初の舟橋・木橋は民間会社で運営されていて有料だったが、明治30年(1897年)に県に移管され、無料の橋となった。現在の橋は昭和61年(1986年)に架橋され、舟橋から数えて4代目にあたる。


橋には各時代毎の様子を描いたレリーフが埋め込まれている。絵にもあるように犀川の流れは急だったため、両岸に綱を渡し、それを手繰り寄せながら渡る方法で渡船を行っていた。


風に煽られ帽子が飛ばされそうになりながら、そして謎の羽虫に襲われながら橋を渡り切ると、橋の北詰の東西に常夜灯がある。写真は西側の文政6年(1823年)建立のもの。東側には文政3年(1820年)建立の常夜灯が立ち、これは現存する中で北国街道で最も古い常夜灯だという。


常夜灯の脇には欄干のデザインを担当した長野県出身の切り絵作家・柳沢京子氏の意匠解説があった。


街道は住宅街の合間を縫っていくと、左手に吹上地蔵堂が現れる。文政元年(1818年)造立の延命地蔵尊が安置されており、かつてはこの前に高札場があったという。また、善光寺四十九名所の一つ・行人塚はかつては吹上地蔵堂の境内にあったが、その後同じく四十九名所の一つ・木留神社境内に移転した。


住宅街を真っ直ぐ進む道が伸びる。この辺りの現行住所は「若里」だが、平成11年(1999年)まで旧荒木村域を「大字荒木」としていたこともあり、「荒木」を冠する建物も多い。


左手に蓮心寺がある。法然上人の弟子である朝日入道蓮心坊興隆が建久6年(1195年)に創建したと伝わる。裾花川の上流から流された善光寺造営用の木材が犀川に流れ込もうとした際、阿弥陀如来が現れて風を吹き寄せ、木材の流失を防いだという伝説から、本尊の阿弥陀如来は「風吹如来」とも呼ばれる。蓮心寺に隣接して木留神社が鎮座している。阿弥陀如来が吹き寄せた木材を陸に揚げて、この神社に留め置いたことに由来するという。


街道は線路に遮られるので跨線橋で反対側へ渡る。ちなみに長野駅東口側は訪問後に開発が進み、令和2年(2020年)にはこの付近に長野駅西側を南北に行き来できるアンダーパス(長野市道西608号線のアンダーパス)ができた。この写真の風景はもう過去のものになっている。

跨線橋を渡り、ホテルメトロポリタン脇を進んで長野駅南交差点に出る。さすが長野駅前だけあって、これまでで最も交通量が多い。さらに駅前の雑多なビル街を抜けると末広町交差点に辿り着く。そろそろクライマックス。この中央通りを真っすぐ行けば善光寺だ。

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