気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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2022/03/01

【巡礼記】関東三十六不動尊 第二十八番 川越大師不動尊



第27番札所・川越不動尊のすぐ南には、川越の名刹として有名な喜多院がある。平安時代の天長7年(830年)に慈覚大師円仁により創建された勅願所に始まり、慶長4年(1599年)に天海僧正が住職となった際に、寺号を「喜多院」と改めた。天海といえば徳川家康・秀忠・家光の顧問として幕政に参画した人物で、明智光秀が成り代わったという都市伝説も有名である。慶長16年(1611年)には徳川家康が川越を訪問し、慶長17年(1612年)には天海の進言によって家康が喜多院を関東天台宗の本山に定めることを認めた。

家康の死後に日光東照宮に移葬する際には喜多院に立ち寄って、天海による4日間の法要を執り行っている。元和3年(1617年)に、家康への感謝の気持ちを伝えるために家康像を作成し、お堂に祀ったことが仙波東照宮の始まりである。

本堂は慈恵堂と呼ばれる。寛永15年(1638年)に川越大火が起こり、喜多院にある建物は多くが焼失してしまったが、翌年に寛永16年(1639年)に再建されている。慈恵大師良源(元三大師)を祀っており、大師堂とも呼ばれる。本堂中央に慈恵大師、左右に不動明王が祀られている。


慈恵堂は「潮音殿」とも呼ばれる。静寂に包まれた堂内で耳を済ませると、まるで潮の満ち引きのような漣が聞こえてきたという出来事にちなんでいる。


山門脇の一角には石造の五百羅漢像が並んでいる。天明2年(1782年)から文政8年(1825年)にかけて建立され、日本三大羅漢の一つにも数えられている。日本三大羅漢は喜多院の他に羅漢寺(大分県中津市)、建長寺(神奈川県鎌倉市)、徳蔵寺(栃木県足利市)が名乗りを上げているようだ。ここには十大弟子(釈迦の弟子の中で主要な10人)、十六羅漢を含めて533体と釈迦如来、文殊・普賢菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩の計538体が鎮座している。


太子堂は昭和47年(1972年)に建立されたもの。当初は弘化4年(1847年)に末寺の金剛院境内地に作られたものだったが、明治になって廃寺となった折に移築などを繰り返していた。


寛永の川越大火で焼け残った数少ない建造物の一つが山門である。棟札によれば寛永9年(1632年)に天海によって建立されたものだといい、国指定重要文化財に指定されている。かつては後奈良天皇直筆の「星野山」の勅額が掛かっていたという。


山門前では天海像が参拝客の様子を眺めていた。

霊場

星野山 無量寿寺 喜多院 川越大師不動尊
所在地:埼玉県川越市小仙波町1-20-1
三十六童子:虚空蔵童子(こくうぞうどうじ)

2022/02/28

【巡礼記】関東三十六不動尊 第二十七番 川越不動尊



不動尊巡りも神奈川、東京を経由して埼玉に突入する。「小江戸」としても知られる川越市街地にある川越不動尊を訪問する。川越市街地へ電車で向かう場合、最寄りは西武新宿線の本川越駅となるが、すぐ近くには東武東上線の川越市駅、JR川越線の川越駅もあるので、選択肢は多い。本川越駅から不動尊までは徒歩で15分程。

山門の彫刻は上部に控鶴仙人、下部に十六羅漢の一人である伐闍羅弗多羅尊者(ばじゃらほたらそんじゃ)、内側にも十六羅漢の一人・迦理迦尊者(かりかそんじゃ)が彫られている。


山門入ってすぐ右手に金剛杵が飾られていた。両端が5個に分かれているので五鈷杵(ごこしょ)と呼ばれる。弘法大師がよく右手に持っている密教法具であり、触れることで弘法大師との縁をさらに深めることができるという。ちなみに五鈷杵の両端が分かれていないものが、目黒不動尊の滝の名前の由来にもなった「独鈷」である。


五鈷杵は大師堂の一角に飾られており、お堂を囲むように四国八十八ヶ所の各札所本尊の絵と御詠歌が刻まれた碑が配置されている。四国八十八ヶ所のお砂踏み場となっており、碑の足元には各札所の砂が埋め込まれている。


鐘楼の脇には不動明王と童子の石像。供えられたカップ酒が哀愁を誘う。


川越不動尊は嘉永6年(1853年)、当時廃寺であった本行院に成田山新勝寺から不動明王を分霊し再興したことに始まる。明治10年(1877年)には本行院の建物など全てを成田山の管理下に移し、「成田山川越別院本行院」と称し、成田山初の別院となった。


本堂の龍の彫刻や獅子鼻もかなり立派であるが、柵に囲われてはっきりと確認することはできない。


開山堂は不動明王をこの地に分霊し、本行院を再興した石川照温を祀ったもの。


農家に生まれた照温は30歳の頃に両目を失明。ある日目が見えなくなったはずの眼前に不動明王が現れたことで仏道に目覚める。成田山新勝寺での修行を行う中で、盲目だった両目が少しずつ見えるようになり、修行を終えた頃には完全に完治したという。これにあやかり、開山堂では眼病平癒・視力回復の祈願絵馬を奉納することができる。


出世稲荷神社は成田山新勝寺の荼枳尼天を勧請したもの。「家内安全」「開運成就」「合格成就」などのご利益があるという。

霊場

成田山 川越別院 本行院 川越不動尊
所在地:埼玉県川越市久保町9-2
三十六童子:虚空護童子(こくうごどうじ)

2022/02/27

【巡礼記】関東三十六不動尊 第二十六番 西新井大師不動明王



第25番の皿沼不動尊からバスで20分ほど揺られれば、西新井大師としても知られる総持寺参道に到着する。東京都内の初詣参拝者は明治神宮、浅草寺についで第3位で、知名度もそれなりにある寺院である。


総持寺の山門は天保4年(1833年)建立と推定されている総檜造りの楼門。訪問時は改修工事真っ只中(工期:2017年3月〜2018年11月)で、その姿を見ることはできなかった。今回の改修工事により、山門の修繕が行われただけでなく、山門を境内側に6mほど移動し、門前商店街との間にゆとりのある広場が作られた。


この時は山門から入れなかったので少し西側に迂回すると、路傍に古そうな道標があった。寛政8年(1796年)のもので、「是より左り 六阿ミ多 道のり十八丁 二者んめ道」とあるようだ。江戸時代に町民の間で流行した巡礼である「(江戸)六阿弥陀詣」は、春秋の彼岸に六ヶ所の阿弥陀仏を巡礼するというもの。全ての札所をちょうど丸一日かけて巡礼できる手軽さもあり、彼岸時期には各札所が賑わったという。その2番寺は沼田村(現在の足立区江北)にあった延命寺。余裕のあった巡礼者は、西新井大師に立ち寄り、その後千住宿を目指したという。延命寺は明治時代に廃寺となり、現在は近くの恵明寺に合併している。


総持寺は天長3年(826年)に空海が関東巡錫の際、この地で十一面観音像を彫り祈願したことに始まる。祈願を行うと枯れていた井戸から湧き水が溢れ出し、人々を疫病から救ったという伝説があり、その井戸がお堂の西側にあったことから「西新井」の地名が起こった。大本堂は昭和46年(1971年)に再建されたもので、秘仏の十一面観音像と弘法大師像を祀っている。


不動堂は本堂向かって左手にある。不動明王像は両脇に制吒迦童子と矜羯羅童子を従えており、それぞれ不動明王の「忿怒」と「慈悲」を表しているという。西新井に居を構える玉ノ井部屋出身の元大関栃東(現:玉ノ井親方)が優勝した際には、西新井大師から玉ノ井部屋まで優勝パレードを行った。このとき国技館に飾られた優勝額が不動堂内部に飾られていた。

霊場

五智山 遍照院 總持寺 西新井大師不動明王
所在地:東京都足立区西新井1-15-1
三十六童子:金剛護童子(こんごうごどうじ)

2022/02/26

【巡礼記】関東三十六不動尊 第二十五番 皿沼不動尊



都内住んでいてもなかなか乗らない交通機関の一つである、「日暮里・舎人ライナー」。日暮里から乗り込み北上していき、谷在家駅で下車する。東西に伸びる五色桜通りを西に進んでいくと、皿沼不動尊こと永昌院のお目見えだ。


永昌院の創建年代は不明だが、寶蔵寺の墓域を管理する御堂として草創されたものと伝わる。足立区には鹿浜と東和に「寶蔵寺(宝蔵寺)」があるが、どちらかを指すのか、あるいはそれ以外かはよくわからなかった。どちらも江戸時代以前の創建である。

寛永2年(1625年)に上野寛永寺が創建されると、幕府直轄の舎人領であった鹿浜から皿沼一帯は寛永寺領として寄進され、多くの寺院が建立された。この時期には阿弥陀仏の念仏講を中心としていたが、元禄年間以降の成田山信仰流行に伴い、講社を結成して成田山から「御前立不動明王」を勧請した。これが不動尊としての起源となる。慶応3年(1867年)に創建し、明治時代に中興され、天台宗寺門派となった。

近年になって現在の本堂である三心殿を竣工し、本尊の不動明王を新調した。階段を上がって2階から本堂に入ると、欅の一本彫で作成された日本最大級の大きさを誇る御前立不動尊を拝見できる。


境内には六地蔵尊と写真に見切れているが左手に梅ノ木稲荷がある。稲荷は創建時に勘定されたものと伝わり、御神体が梅の木に刻まれているという。


明治2年(1869年)建立の三界萬霊供養塔。どろぼう塚と刻まれており、毎年6月1日にはどろぼう塚供養とも言われる護摩行が行われている。

霊場

皿沼山 永昌院 皿沼不動尊
所在地:東京都足立区皿沼1-4-2
三十六童子:僧守護童子(そうしゅごどうじ)

2022/02/25

【巡礼記】関東三十六不動尊 第二十四番 飛不動尊



第23番の橋場不動尊から西に向かって30分ほど歩く。都道462号線(国際通り)から少し東側の住宅街の一角に、飛不動尊が鎮座している。奉納提灯と幟が目印。


飛不動尊こと正宝院は享禄3年(1530年)に正山上人によって開山された。修験道の聖地・大峰山にて修行後に諸国巡業を行っていた折、ここ竜泉にて村人に宿を借りた。そこで不動明王の加護である龍の夢をみたことから不動明王を建造し、正法院を建立した。

創建間もない頃、本尊の不動明王が大峰山へ持ち出されている間、寺に村人が集まり分身に祈願していると、不動明王が一夜にして竜泉まで飛んで帰ってきたという。この伝説から「飛不動尊」と称されるようになった。この出来事から、旅の安全や災難や厄を飛ばすと言われ、近年では航空の安全にご利益があるということで、パイロットや客室乗務員などの航空関係者が多く訪れるという。JAXAの小惑星探査機「はやぶさ」の通信が途絶えた際、プロジェクトリーダーである川口淳一郎氏が飛不動を参拝したところ、そのすぐ後にはやぶさから電波を受信し、2010年には無事に地球への帰還を果たしたという逸話もある。


境内には下谷七福神の一つである恵比寿神が祀られている。昭和52年(1977年)から7つの寺社が揃って御開帳を始め、下谷七福神がスタートした。すべての寺社が狭い範囲に収まっているので、1時間ほどで巡ることができるという。


カウンター付きのお百度石が設置されていた。確かにお百度参りは何回目かわからなくなることが多そうなので、これは非常に便利。

飛不動で授与される「飛行護」は、飛行機が「落ちない」ことにかけて受験に「落ちない」ように合格守とする人も多いという。さらには「よく飛ぶ」ことから、ゴルフ上達祈願にもなるという。多方面への信心を集めていることもあり、小さい寺院ながら参拝客がそれなりにいたのも特徴的だった。

霊場

龍光山 三高寺 正寶院 飛不動尊
所在地:東京都台東区竜泉3-11-11
三十六童子:法守護童子(ほうしゅごどうじ)

2022/02/24

【巡礼記】関東三十六不動尊 第二十三番 橋場不動尊



22番札所の浅草寿不動尊より浅草寺前を通過し、隅田川に沿って北上する。白鬚橋の袂に次の第23番札所・橋場不動尊こと不動院がある。参道周辺の町並みは、延享2年(1745年)に不動院門前町が起立されたことに由来しているようだ。


天平宝字4年(760年)、良弁僧都の弟子・寂昇上人による開創と伝わる。当初は南都六宗の一つである法相宗であったが、長寛元年(1163年)に天台宗に宗派替えした。以降、鎌倉時代は浅草寺の末寺であった。江戸時代には「橋場寺」と称して周辺の武家屋敷の信仰を集めており、現在の本堂は弘化2年(1895年)に建立された。昭和25年(1950年)に浅草寺が聖観音宗に改宗したことを受け、橋場寺は天台宗を継続し、現在では同じ天台宗の比叡山延暦寺の末寺となっている。橋場寺周辺の一角は関東大震災や東京大空襲などの火災を逃れたことから、「火伏せの橋場不動尊」とも呼ばれている。

本尊の不動明王は良弁が大山寺で刻んだ一木三体不動の一つとして完全非公開の秘仏となっている。直接拝むことができる前立本尊の不動明王は鎌倉時代のものと推察されている。恵心僧都作の薬師如来像が安置されているという話もあったが、詳細な情報は得られなかった。


本堂の脇には御授地蔵尊があった。子宝にご利益があるという。

霊場

砂尾山 橋場寺 不動院 橋場不動尊
所在地:東京都台東区橋場2-14-19
三十六童子:佛守護童子(ぶつしゅごどうじ)

2022/02/23

【巡礼記】関東三十六不動尊 第二十二番 浅草寿不動尊



数多の寺院ひしめく浅草において、この存在を知っている人は少ないかもしれない。そんな寺院が東京メトロ銀座線田原町駅から南西方向に徒歩3分程の場所ある。山門には「真言宗智山派不動院」と掲げられていて寺院であることを主張しているが、その奥にはいわゆる寺院建築ではなく2階建てのクリーム色の建造物が控えている。

中に入ると階段で2階に上がったところに本堂があり、納経もそこで済ませた。関東三十六不動巡りをしている参拝者がほとんどだと言う。

慶長16年(1611年)に八丁堀にて創建し、寛永12年(1635年)に浅草寺の裏鬼門として移転してきたと言われる。本尊の不動明王は恵心僧都作と伝わり、元々平戸藩松浦家の江戸屋敷にあったものを、屋敷の鬼門に当寺があたることから不動明王像を奉納、安置したものだという。


上図は国立国会図書館デジタルコレクションより、嘉永2年(1849年)から文久2年(1862年)頃の江戸切絵図『浅草御蔵前辺図』から抜粋したもの。図の左側が南で、中央左端に「不動院」の文字が見える。不動院と同じブロックでは、玉宗寺、仙蔵寺、常福寺、威光院、永見寺、宗圓寺などが今でも同じ位置に現存しており、住宅地と寺町をミックスしたような雰囲気を醸し出している。

霊場

阿遮山 円満寺 不動院 浅草寿不動尊
所在地:東京都台東区寿2-5-2
三十六童子:小光明童子(しょうこうみょうどうじ)