気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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気の向くままにつらつらと。

2023/08/31

薩摩街道・豊前街道 Day2 その①


2日目は松崎に戻ってここから歩きを再開する。宿場のメインストリートを南下していくと、枡形になっている。枡形を折れたところにも大正11年(1922年)奉納のえびす像があった。この辺りは「下町」にあたるようだ。「蛭子宮」と刻まれた石碑が住居の前に置かれていた。字違いだがこちらも「えびす」信仰に由来するものだろう。赤い花が添えられている祠があった。江戸時代末期の松崎宿図によればこの辺りに「柳清エ門墓」があるとされているが、この石碑が墓なのかは不明。「鶴小屋黒岩時計店」と書かれたテントがかかる古そうな建物。江戸時代より「鶴小屋」という名前で...

2023/08/30

薩摩街道・豊前街道 Day1 その④


 霊鷲寺の前で道は二手に分かれるので左方向へと進む。「近道踏切」という甘木鉄道の踏切を渡り、国道500号に当たる。この地点はここから国道500号に沿って東に向かう秋月街道との追分となっている。ここから国道脇の細い道に進むのが薩摩街道。松崎北入口の案内がある。左手に松崎公園が見えてくる。公園の一部と道を挟んで反対側に古そうな石垣が積まれている。ここには松崎宿の北構口があった。構口(かまえぐち・かめぐち)は宿場の出入口に設けられた石垣と土塁のことで、筑前・肥後の宿場でよく見られる。隣接する形で番所小屋が設けられ、宿場への出入り...

2023/08/29

薩摩街道・豊前街道 Day1 その③


 乙隈公民館の敷地に「御大典記念」と刻まれた円柱状の道標があった。大正天皇即位の御大礼を記念して大正4年(1915年)に建立されたもの。近隣の村々までの距離が刻まれており「松崎 一里五町五十六間、小郡 二里七町、甘木三里八町」などとある。県道53号を南下し、草場川を御原川橋で渡る。そのすぐ先で道路工事が行われていた。後ほど知ったが、平成28年(2016年)の道路工事で丁度この街道沿いで全長約90mの石垣と石敷が発見されている。これは野越堤と呼ばれ、草場川の氾濫から街道を守るために江戸時代頃に築かれたものと考えられている。大...

2023/08/28

薩摩街道・豊前街道 Day1 その②


道路新設碑があった。この隣の県道595号の整備の際に建てられたものだろうか。旧道はこのすぐ先で天神川に阻まれるので県道の橋を渡って旧道に戻るが、またすぐに県道に合流する。漢字が読みにくいからか、ひらがなの「いしびつ」交差点を通過。県道に沿って流れる川に架かる橋は「向原橋」であることが、半分埋まった標柱からわかる。丸町の集落を越えたあたりから先の旧道は、水田開発によってほとんど失われてしまっているようだ。とりあえず丸町を抜けたところで県道593号に乗り換えて南東方面へ進む。曽根田川の手前で南西方向へ転換する。田んぼの脇にあった石祠には右手に青面金剛らしき像、左手に石碑か何かが鎮座していた。生モノが備えられていたり花が取り替えられているところを見ると、信心深い方によって参拝されているようである。田んぼの合間の道を進む。県道53号にあたったところで左に曲がり、東小田橋で曽根田川を越え、右折する。ここに水神社がある。国土地理院の地図によれば水神社前に橋がかかっており、そのあたりから旧道が復活していたのだが、2022年現在にはかかってない。旧石橋集落を抜け、旧馬市集落に入る。現在では朝倉郡筑前町東小田から筑紫野市西小田に入る異なる。「小田」という地名が市町をまたいで分かれている形となる。石造りの蔵の前に「駄祭記念碑」と刻まれた碑が置かれていた。「駄祭」とは農耕に利用した牛馬に感謝する祭りのことで、「ダブリュー(駄風流・駄糞流)」とも呼ばれる。周辺の各集落でも伝統的に行われていたようだが、戦後あたりから実施する集落は激減し、現在ではどの程度残っているのか計り知れない。また、この記念碑は執筆現在は近くの馬市天満宮の敷地へ移設されている。牟田川を馬市橋で渡り、しばらくすると2本の石碑がそびえ立っている。「従是北筑前国」、「従是南筑後国」とあるように、これは筑前国と筑後国の境界を示す境界石である。かつては木の杭であったが、...

2023/08/27

薩摩街道・豊前街道 Day1 その①


 JR筑豊本線・筑前山家駅に到着。一日の利用者数が平均25人の無人駅である。少し前まで雨が降っていて、これからも降り出しそうな天候で、この先の行程が少々思いやられる。今回の起点に定めた場所までは駅から国道200号に沿って南西に進んでいく。間片交差点手前の複雑な分岐路に「山家宿番所跡」と「長崎街道」の案内板がある。山家宿は筑前六宿の一つとして、慶長16年(1611年)頃に整備された宿場である。番所は浪人を取り締まるための施設で、元治元年(1864年)に福岡藩によって主要な宿場に設置された。今回の旅のスタート地点はここを長崎街...