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2023/08/27

薩摩街道・豊前街道 Day1 その①


 
JR筑豊本線・筑前山家駅に到着。一日の利用者数が平均25人の無人駅である。少し前まで雨が降っていて、これからも降り出しそうな天候で、この先の行程が少々思いやられる。


今回の起点に定めた場所までは駅から国道200号に沿って南西に進んでいく。


間片交差点手前の複雑な分岐路に「山家宿番所跡」と「長崎街道」の案内板がある。山家宿は筑前六宿の一つとして、慶長16年(1611年)頃に整備された宿場である。番所は浪人を取り締まるための施設で、元治元年(1864年)に福岡藩によって主要な宿場に設置された。今回の旅のスタート地点はここを長崎街道と豊前街道の分岐点として、以降豊前街道を進んでいく。


豊前街道は国道を挟んで向かい側の道を進んでいくが、「豊前街道」の文字が見えないので些か不安ではある。筑豊本線の大又踏切を渡る。


田園風景の中を進み、蔵役集落へと差し掛かる。集落の脇には祠と猿田彦大神碑と見られる石碑。


すぐ隣の一角にも猿田彦大神と恵比寿像が並ぶ。このあたりは江戸時代より猿田彦信仰が盛んだったようで、猿(申)繋がりで、いわゆる庚申信仰と同一視されていたようだ。


そのすぐ右手にある碑には「従是南九町三十間 孝子彌四郎墓」とあるようだ。孝子彌四郎は江戸時代に朝日村(現:朝倉郡筑前町大字朝日)に生まれた農民で、親孝行や思いやりに溢れた人柄が評判となり福岡城主から年貢免除の褒美を与えられている。墓はここから南西の朝日薬師堂にある。


蔵役交差点で国道200号を横切る。右手に広場があり、「古市彦太夫の墓」がある。古市彦太夫は中牟田村(現:朝倉郡筑前町中牟田)の宮崎家の家臣で、農業用水を大改良して中牟田村の農業の発展に貢献した人物である。


山家宿の下宿として賑わった石櫃(いしびつ)集落を進むと、追分の道標が現れる。これは江戸時代初期に建立された道標で、「右 肥後薩摩道 左 豊後 秋月 日田 甘木道」と刻まれている。この道を直進すると、日田街道や甘木往還と呼ばれる道となる。今回はここを右折して肥後薩摩道の方へと向かう。

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