気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

※当サイトに掲載されている内容は、誤植・誤り・私的見解を大いに含んでいる可能性があります。お気づきの方はコメント等で指摘して頂けると嬉しいです。

©こけ
Powered by Blogger.

2022/02/08

【巡礼記】関東三十六不動尊 第七番 川崎大師不動堂



本日は川崎大師へ参拝。川崎大師こと金剛山金乗院平間寺は、1128年(大治3年)創建の真言宗智山派の大本山。

参道では「日本の音風景100選」にも選ばれている飴切りの音が響く。開創850年を記念して昭和52年(1977年)に建立された大山門を抜けて、境内の中へ入る。門の四方には京都の東寺を模倣して、持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王像が安置されている。


山門を抜けて正面にあるのが大本堂。昭和39年(1964年)に落慶され、本尊の厄除弘法大師を祀っている。例年初詣では大本堂前まで長蛇の列ができ、2019年の初詣参拝客数は約310万人と発表されている。これは1位の明治神宮、2位の成田山新勝寺に次いで、全国3位の参拝客となっている。


不動明王を本尊としている不動堂は本堂向かって左手にある。明治23年(1890年)に成田山新勝寺の本尊不動明王を勧請して創建している。建物自体は昭和39年(1964年)に再建されたものとなっている。

不動堂の周りの幟には「武相不動尊札所開帳」とあるとおり、昭和43年(1968年)に成立した武相不動霊場の第1番札所にも指定されている。


参拝を終えて川崎大師駅まで戻ってきた。駅前に車輪と線路を模したオブジェがあった。川崎大師駅は明治32年(1899年)、現在の京急大師線の前身にあたる大師電気鉄道の駅として開業した。開業は平間寺の縁日に合わせて実施されたが、これが関東で初めての電車運行であった。この頃は日本で初詣文化が定着し始めていたころで、川崎大師の電車敷設を皮切りに、関東一帯でも信仰地へ向けての鉄道路線敷設がさらに拡大することとなった。関東における「初詣」と「電車」文化の原点とも言える場所である。

霊場

金剛山 金乗院 平間寺 川崎大師不動堂
所在地:神奈川県川崎市川崎区大師町4-48
三十六童子: 智慧幢童子(ちえどうどうじ)

2022/02/07

【巡礼記】関東三十六不動尊 第六番 神木不動尊



この日は第5番札所・日吉不動尊へ立ち寄り御朱印をいただいてから、神木不動尊へ向かった。日吉不動尊から神木不動尊へは電車とバスを乗り継いでおよそ1時間の道のり。鉄道の最寄り駅はJR南武線の久地駅だが距離があるので、今回は武蔵小杉駅よりバスで向かい、神木本町バス停から徒歩5分ほどで到着した。


神木不動尊はヤマトタケルの東征の際、疲労困憊していたヤマトタケルの元に白鶴が現れ、連れられて訪れた泉の水を飲んだところ元気が回復したため、これを霊泉と考え一本の木を植えたことに由来するという。代々その神木を崇めていたが、後に智証大師・円珍が神木で不動明王を刻んだものが本尊だと伝わる。これが寺院の所在地である「神奈川県川崎市宮前区神木(しぼく)本町」の地名の由来となっている。


明治31年(1898年)建立の山門。入り口の両脇には仁王像が睨みをきかせている。山門から延びる石段の両脇にはツツジが植えられている。


山門を登りきったところに安政7年(1860年)建立の手水舎。その脇には季節柄七夕の笹が飾られていた。


本堂は安政6年(1859年)に再建されたもの。堂内には平成19年(2007年)に天台宗開宗千二百年を記念して制作された高さ3.6mの不動明王像が鎮座している。



等覚院は「ツツジの寺」として有名な観光スポットとなっており、境内には江戸霧島つつじ、平戸ツツジ、リュウキュウツツジなど様々な品種のツツジが二千株も植えられており、中には樹齢300年を超えるものもあるという。例年4月中旬〜5月上旬には境内一面がカラフルに彩られ、多くの参拝客を集めるが、このときは緑一面。それもまた風情があってよい。

霊場

神木山 長徳寺 等覚院 神木不動尊
所在地:神奈川県川崎市宮前区神木本町1-8-1
三十六童子:計子爾童子(けいしにどうじ)

2022/02/06

【巡礼記】関東三十六不動尊 第五番 日吉不動尊



この日はさらにもう一箇所巡る。第四番・和田不動尊から第5番・日吉不動尊までは、バスと地下鉄を乗り継いで横浜市営地下鉄グリーンラインの日吉本町駅へ向かい、そこから徒歩5分程で到着。1時間ほどの道のりである。時期柄、参道の紫陽花が映える。


日吉不動尊こと清林山金蔵寺は貞観年間(859〜879年)に清和天皇の勅願によって開かれたとされる寺院。当時の地形が比叡山に似ていたらしく、この地にお堂を建て、比叡山と同じく山王社(日吉社)を祀った。明治22年(1889年)の市町村制施行により矢上・駒林・駒ケ橋・箕輪・小倉・南加瀬・鹿島田が合併した際、この日吉社にちなんで「日吉村」の地名が起こっている。


金蔵寺は江戸時代になると寛永寺の末寺として繁栄し、敷地面積は2万坪にも及んだ。全体的に極彩色の建造物が多く、本堂正面にも極彩色の木造灯籠が置かれている。

本尊の不動明王は天台宗第5代座主・智証大師円珍の作とされる。円珍は弘法大師の甥にあたり、金蔵寺を建立した人物である。金蔵寺という寺名も円珍の生まれ故郷である「讃岐国金蔵郷」に由来する。


本堂左手には地蔵堂があり六地蔵が並んでいる。この地蔵堂は「駒林の大谷戸の長者柱の一部分」の古材を使用しているとのこと。この地は日吉村となる以前は旧駒林村にあたる。


地蔵堂の内装も極彩色の彫物があしらわれている。


本堂裏手にも極彩色で彩られた弁天堂がある。弁財天、毘沙門天、大黒天を祀っている。


一階部分の外側にあしらわれているのは、仏陀の一生をテーマにした彫刻。


堂の内側は日光東照宮で有名な「三猿」の彫刻などもあった。その上部の蟇股の彫刻や彩色にも手が行き届いている。


お堂の天井には白竜の画。さながら京都・妙心寺の雲龍図のよう。壁面の彫刻もかなり繊細な作りとなっている。


堂内の階段を登って二階に上がると稲荷社の小祠があった。更に階段を登れば奥之院弁財天や奥之院不動堂などがあったらしいが、今回は訪問しなかった。この小高い丘が比叡山に似ているといわれていた地形なのだろう。

ちなみに御朱印を貰える時間が過ぎてしまったので、次回再訪してから続きを進めることとなった。

霊場

清林山 佛乗院 金蔵寺 日吉不動尊
所在地:神奈川県横浜市港北区日吉本町2-41-2
三十六童子:無垢光童子(むくこうどうじ)

2022/02/05

【巡礼記】関東三十六不動尊 第四番 和田不動尊



第3番札所の野毛山不動尊から第4番札所・和田不動尊へ移動。和田不動尊は相鉄本線の和田町駅が最寄りだが、今回は横浜駅よりバスで和田町停留所向かい、そこから5分程歩くルートにした。和田町駅から歩くと10分ほどのようなので、それほど変わらない。野毛山不動尊からおよそ1時間の行程である。

和田不動尊こと大聖山真福寺は、治承元年(1177年)に源頼朝に仕えた和田義盛によって建立されたと伝わる寺院。平家討伐を目指していた義盛の夢枕に不動明王が現れ、勧進すれば悲願が達成するとのお告げからお堂と稲荷社を建てたことに始まるという。建暦3年(1213年)の和田合戦にて義盛は北条氏に討ち取られ、寺院も廃寺となる。その後元和元年(1615年)に中興するもすぐに無住となり、度重なる震災や戦禍を経て現在に至る。


境内入り口のすぐ脇に「満願地蔵尊」が置かれている。元々和田町駅の裏手にあった地蔵堂に祀られていたものを、小学校建設に伴い移設したものだという。


地蔵尊の脇からは「霊場参道」というゆるやかな坂が伸びている。


霊場参道の足元には坂東・西国・秩父・四国の各霊場の砂が埋められており、参道を通過するだけでもいわゆる「お砂踏み」の効果が得られるようになっている。


霊場参道の壁面には不動明王をはじめとする「十二支守本尊」のレリーフが飾られている。十二支守本尊は生まれ年の干支に応じて異なる仏が守護してくれるというもので、不動明王は酉年を担当している。


参道が右手に折れ曲がった先に本堂がある。昭和20年(1945年)に戦災で消失したが、昭和35年(1960年)に再建された。本堂内で本尊を拝みつつ、お寺の方の勧めで少し休憩させていただいた。


真福寺の隣には和田稲荷神社が鎮座している。これが和田義盛の夢枕でお告げのあった稲荷社である。建久4年(1193年)に頼朝が狩りに訪れた際、この稲荷に参拝し、和田稲荷と名付けたと伝わる。「和田町駅」などの名称からもわかるように、この地域が「和田」と呼ばれるようになった由縁がこの出来事だという。現在でも真福寺がこの神社を管理している。

霊場

大聖山 真福寺 和田不動尊
所在地:神奈川県横浜市保土ケ谷区和田2-8-3
三十六童子:光網勝童子(こうもうしょうどうじ)

2022/02/04

【巡礼記】関東三十六不動尊 第三番 野毛山不動尊



野毛山不動尊へはJR桜木町駅もしくは京急日ノ出町駅が最寄りとなる。今回はJR桜木町より向かう。住宅街とも商店街とも言い難い細い道を抜けると、目の前の崖上に格子状に鉄骨が組まれた建物が見えてくる。これが今回の目的地である。


元々は明治3年(1870年)頃、成田山新勝寺の横浜別院として横浜市内の別の場所で遥拝所を設立したことに始まる。その後明治9年(1876年)に現在地に移転し、明治26年(1893年)に成田山横浜別院延命院と改めた。

急な階段を登った場所にある本堂は、平成27年(2015年)に完成した。急崖に設けられたこともあり、再建時には土砂崩れなどの被害もあったようだ。本尊の不動明王は元々徳川家の秘蔵仏だったものが成田山に奉納されたもの。


崖上に位置することから、本堂前の広場からは横浜の市街地を一望できる。横浜ランドマークタワーやコスモワールドの観覧車などを臨める。


延命院の隣には萬徳寺という曹洞宗の寺院が建っている。明治11年(1878年)、この地に曹洞宗の布教所が開創されたが、明治26年(1893年)に静岡県山名郡久努村(現在の袋井市)にあった萬徳寺を移設して開山して現在に至る。本堂入り口前に六地蔵が並んでいた。


戦時中には西参道沿いに闇市が形成され、小さな商店などが並んでいたというが、空襲によって延命院・萬徳寺と共に焼けてしまったという。その時残ったものの一つがこちらの昭和6年(1931年)建立の道了大薩埵御迎物記念碑だという。


萬徳寺墓地脇に物々しい造りの「太陽光採システム装置」があった。コンピュータ制御で二枚のプリズムを調整しながら内部の「円廟」の中心に自然光を取り入れる仕組みなのだという。墓地の近代化にもいろいろな手法があることを伺い知れる。


境内には頭が馬で体が人の珍しい馬頭観音があった。「ベンジャミン号に捧ぐ 1977ー1992」と刻まれているが、これは競走馬だったベンジャミン号を供養する碑だという。施主がカトリックだったためロザリオを手にしている。

霊場

成田山 横浜別院 延命院 野毛山不動尊
所在地:神奈川県横浜市西区宮崎町30
三十六童子:不動恵童子(ふどうえどうじ)

2022/02/03

【巡礼記】関東三十六不動尊 第二番 清瀧不動尊



本日は晴天なり。散歩日和ということで、関東三十六不動尊巡りに出かける。
小田原駅より伊豆箱根鉄道大雄山線に揺られること20分、そこからさらにバスで10分ほど登り道了尊バス停で下車する。

大雄山最乗寺は相模国糟屋荘(現在の神奈川県伊勢原市)生まれの了庵慧明禅師によって開山された曹洞宗の寺院。いくつもの寺院で修行を積んだ後、相模国に帰るが、ある日1羽の大鷲が了庵の袈裟を掴んで山中の松に掛けるという不思議な出来事があった。これを啓示と受け取り、應永元年(1394年)にその山中に最乗寺を建立した。


了庵の弟子だった道了尊者は、了庵が最乗寺を建立する際に近江の三井寺より天狗の姿になって飛んできて、寺院工事の手伝いをするなどしたという。その後了庵がこの世を去ると、天狗の姿で山中に飛び込み、寺の守護神として祀られるようになったという。このような天狗伝説もあり、境内には様々な天狗像が睨みをきかせている。


天狗が履いている「高下駄」も奉納されている。下駄は左右一対揃ろえて役割を果たすことから「夫婦和合」の意味合いがあるとされる。


奥の院へと続く350段の石段は、木々に囲まれて幻想的な雰囲気を漂わせていた。奥の院には道了薩埵の本地仏・十一面観世音菩薩が祀られている。

今回写真をあまりとっておらず、肝心の不動堂やその脇にある洗心の滝を写真に納めるのを忘れてしまった。


大雄山駅まで戻ってきた。駅前には金太郎が熊にまたがりお馬の稽古をしている像があった。金太郎のふる里「足柄山」とあるが、足柄山という山は存在せず、神奈川と静岡の県境にあたる金時山とその北側の連山を総称した呼称として使われている言葉である。

足柄山は金太郎が熊と相撲をとった場所ということで、ブロンズ像が造られた。金時山という山名も金太郎の本名「坂田金時」からとって付けられている。

霊場

大雄山 最乗寺 清瀧不動尊
所在地:神奈川県南足柄市大雄町1157
三十六童子:制吒迦童子(せいたかどうじ)

2022/02/02

【巡礼記】関東三十六不動尊 第一番 大山不動尊



第一番霊場の大山寺は丹沢大山国定公園内、大山の山腹にある。ケーブルカーで大山寺駅まで行けばそこから数分歩けば大山寺にたどり着くが、今回は大山山頂まで徒歩で登山し、下るときに大山寺に寄ることとした。その道中の模様についてはこちらの大山街道歩き旅で紹介している。
麓のケーブルカー駅までは「こま参道」という参道が伸びており、その手前には第一番霊場の案内と三十六童子の一人・矜羯羅童子の像が置かれていた。


大山山頂を経由して大山寺へ。関東三十六不動札所の第一番霊場の案内がある。


大山寺は天平勝平7年(755年)に良弁僧正により開山したと伝わる。良弁は奈良東大寺を開山した人物として有名だが、晩年に大山に登山した際に不動明王が現れたことから、この地に伽藍を設け、不動明王像を本尊として聖武天皇の勅願寺として開創したという。

建久3年(1192年)には戦勝祈願として源頼朝が太刀を奉納したと伝わり、以降大山を参拝の際に太刀を担いで登る「納め太刀」の風習が広まった。江戸時代には徳川家康、家光、春日局などの信仰も篤く、江戸町民の参拝も増加し、全盛期を迎える。

明治初年の廃仏毀釈の流れから、本堂や伽藍の多くは暴徒により破壊されてしまったが、日本各地から寄進を集め、難工事の末、明治18年(1885年)には本堂が再建された。


大山寺開創1250年を記念して、平成17年(2005年)より土器(かわらけ)投げが設置された。「厄除」と書かれた土器を崖下に設置された輪に向かって投げ、うまく輪を通せば幸運をもたらすというものである。古刹とはいえ営業努力が必要なのだ。ちなみに私が投げた土器は、輪の手前の台にあたり破裂し、その一部が輪を通過したので、きっとほんのりと幸運は手に入れられたのだろう。

霊場

雨降山 大山寺 大山不動尊
所在地:神奈川県伊勢原市大山724
三十六童子:矜羯羅童子(こんがらどうじ)