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2022/02/06

【巡礼記】関東三十六不動尊 第五番 日吉不動尊



この日はさらにもう一箇所巡る。第四番・和田不動尊から第5番・日吉不動尊までは、バスと地下鉄を乗り継いで横浜市営地下鉄グリーンラインの日吉本町駅へ向かい、そこから徒歩5分程で到着。1時間ほどの道のりである。時期柄、参道の紫陽花が映える。


日吉不動尊こと清林山金蔵寺は貞観年間(859〜879年)に清和天皇の勅願によって開かれたとされる寺院。当時の地形が比叡山に似ていたらしく、この地にお堂を建て、比叡山と同じく山王社(日吉社)を祀った。明治22年(1889年)の市町村制施行により矢上・駒林・駒ケ橋・箕輪・小倉・南加瀬・鹿島田が合併した際、この日吉社にちなんで「日吉村」の地名が起こっている。


金蔵寺は江戸時代になると寛永寺の末寺として繁栄し、敷地面積は2万坪にも及んだ。全体的に極彩色の建造物が多く、本堂正面にも極彩色の木造灯籠が置かれている。

本尊の不動明王は天台宗第5代座主・智証大師円珍の作とされる。円珍は弘法大師の甥にあたり、金蔵寺を建立した人物である。金蔵寺という寺名も円珍の生まれ故郷である「讃岐国金蔵郷」に由来する。


本堂左手には地蔵堂があり六地蔵が並んでいる。この地蔵堂は「駒林の大谷戸の長者柱の一部分」の古材を使用しているとのこと。この地は日吉村となる以前は旧駒林村にあたる。


地蔵堂の内装も極彩色の彫物があしらわれている。


本堂裏手にも極彩色で彩られた弁天堂がある。弁財天、毘沙門天、大黒天を祀っている。


一階部分の外側にあしらわれているのは、仏陀の一生をテーマにした彫刻。


堂の内側は日光東照宮で有名な「三猿」の彫刻などもあった。その上部の蟇股の彫刻や彩色にも手が行き届いている。


お堂の天井には白竜の画。さながら京都・妙心寺の雲龍図のよう。壁面の彫刻もかなり繊細な作りとなっている。


堂内の階段を登って二階に上がると稲荷社の小祠があった。更に階段を登れば奥之院弁財天や奥之院不動堂などがあったらしいが、今回は訪問しなかった。この小高い丘が比叡山に似ているといわれていた地形なのだろう。

ちなみに御朱印を貰える時間が過ぎてしまったので、次回再訪してから続きを進めることとなった。

霊場

清林山 佛乗院 金蔵寺 日吉不動尊
所在地:神奈川県横浜市港北区日吉本町2-41-2
三十六童子:無垢光童子(むくこうどうじ)

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