気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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気の向くままにつらつらと。

2025/08/03

【東京市電】大塚「郡市境界」という変わった停留所名の話


豊島区の中心地といえば、「池袋駅」を思い浮かべる方が多い。池袋駅といえば今では、新宿駅、渋谷駅に次いで世界第3位の乗降客数を誇るマンモス駅。しかし、その今日の規模にまで発展したのは戦後になってからで、それまでは隣の大塚駅周辺の方が先に都市化が進んでいたことはあまり知られていない。個人的に池袋駅周辺の歴史を調べていたのだが、それを補足的に深堀りしていくには大塚駅周辺の歴史を調べる必要が出てきた。そして大塚駅周辺の発展に寄与していたのが「東京市電」つまり、都電荒川線・東京さくらトラムの存在であったことがわかった。大塚駅から南側に伸びる東京市電についての記述を、『地方鉄道及軌道一覧...

2025/07/14

【歩き旅】北国街道 Day9 その②


聖ヶ鼻から柏崎方面を臨む。薄っすらと見えるのは弥彦山だろうか。反対側を臨むと、妙高山などの冠雪が遠くに見える。半島のように伸びて見えるのは鳥ヶ首岬だろうか。国道8号に向かう手前に蓮光院がある。和銅4年(711年)に聖ヶ鼻で修行した泰澄によって開創されたと伝わる。元和年間に火災で全焼、天明元年(1781年)には土砂崩れで全壊。さらに大正9年(1920年)には鉢崎の大火にも遭い、昭和7年(1932年)に再建されて現在に至る。先程通過した古い墓はこの寺院のものだろう。国道8号の米山トンネルに突入する。昭和40年(1965年)にトンネル完成...

2025/07/13

【歩き旅】北国街道 Day9 その①


前日の続き、柿崎から歩きを進めていく。本日は柏崎あたりまで進めればと思っているのだがどうなることやら。左手に見える松と白い建物が旅館「元問屋」こと平野家。明治時代まで実際に問屋を務めていた家である。元問屋の向かい、京屋佛壇店の隣にあるのが扇屋渋々宿跡。承元元年(1207年)、京都から越後へ流罪になった親鸞が旅の途中で一夜の宿を取った場所とされる。冬の最中、ここ扇屋で宿が取れないか頼み込んだ親鸞を、扇屋夫婦は邪険に断ってしまったため、軒下で石を枕にして体を休めた。そんな中でも念仏を唱えていると、これを耳にした扇屋夫婦が心を打たれ、親鸞...

2025/07/09

【歩き旅】北国街道 Day8 その④


「泰翁塚」と刻まれた碑がある。「翁塚」であれば松尾芭蕉の碑を指すのだが、「泰翁」となったときこれが誰を指すのかはわからなかった。九戸バス停のあたりから道は緩やかに下っていく。九戸はアイヌ語で「水気のある川、池の畔のこんもりとした丘陵」の意味があるという。近くには「どんどの池」や「どんどの石井戸」と呼ばれる湧水がある。街道を進んでいくと旅館が点在してくるエリアに突入する。昭和31年(1956年)、帝国石油(現在のINPEX)が石油を試掘した際に温泉が湧出し、昭和33年(1958年)に「鵜の浜温泉」として開湯。隣接して鵜の浜海水浴場もあ...

2025/07/08

【歩き旅】北国街道 Day8 その③


昼食を終えて、黒井宿(くろいのしゅく)の町並みを進む。黒井宿は天正年間頃の開設といわれ、当初は日本海沿いに直江津側から奥州をつなぐ街道の一番目の宿として栄えた。高田城築城後は高田経由に街道が付け替えられたが、それでも春日新田の次の宿場として需要があった宿場であった。現在では往時の姿を残すのは道幅くらいになっている。右手に本敬寺がある。本山は東本願寺で、高田の本誓寺の末寺にあたる。境内には芭蕉句碑があるようだが見逃してしまった。芭蕉は黒井宿の旅籠で休憩した記録が残ることにちなみ、後年の寛政期に建立されたものだという。黒井から柿崎までの...