気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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気の向くままにつらつらと。

2025/03/19

【埼玉】「吉川市は『川』がついてるから危ないですよ」と言われた話


先日ポストした梅田の件と同様、地名からその土地の特徴を判断するのはどうなのかという話。少し前に、訳あって不動産屋と話す機会があった。担当してくれた方は埼玉県全域を主戦場にしていて、様々な駅前の雰囲気であったり、各自治体の財政状況であったりを具に紹介してくれて、これまで相対してきた不動産屋の中でも、かなり地域情報に詳しい方という印象であった。その方は県内屈指の地味度の自治体出身ということもあり、普段聞けないような地元に根付いたエピソードトークも興味深く、長時間の移動の車中も楽しく過ごしていた。そんな中、吉川についての話題となった際に、不動産屋がタイトルの一言を発した。「吉川市は『川』がついてるから危ないですよ」それまで埼玉のマイナーな土地について楽しく会話していたのだが、この発言を受けて心にモヤモヤという感情が生じた、というか、その場で反論したい気持ちがふと湧き上がって、すぐに収まった、というだけの話である。吉川市ってなんぞや吉川市位置図(Wikimedia...

2025/02/18

【雑記】「梅田」は骨を「埋めた」から「埋田」だ、という都市伝説の生まれ方


いつの頃からか、自然災害が起きる度に、「地名」から災害リスクを推定することができるという話がX(旧Twitter)やらニュースやらで話題になることが増えてきている気がする。分かりやすい例を挙げると、「川」や「沼」が付いている地名は、かつて湿地帯や水辺だった可能性が高いので、水害や地盤に注意が必要だ、というような言説である。この話と時折セットになるのが、「印象が良くない」地名は宅地開発や土地区画整理のタイミングで地名が変更され、現在の地名からは把握できないようになっている、という話題である。これは2014年の広島豪雨の際、土砂災害が起きた土地の旧名が非常にインパクトの高い地名だったことで、記憶に残っている方も多いのではないだろうか。広島災害の教訓―変わる地名、消える危険サイン(Yahoo!ニュース...

2024/11/03

【歩き旅】北国街道 Day7 その④


本町まで戻ってきた。ここから司令部通りを東に進み、高田城へと向かっていく。司令部通りは明治41年(1908年)に陸軍第13師団司令部が高田城に入城した際に、城から街道までの道筋を直進できるように整備したことにちなんでいる。市の橋で青田川を渡る。青田川は高田城の外堀の役目を果たしていた。かつての市の橋はここから少し南側に設けられた馬出しから架橋されていた。大手町公園に「絵図で探る高田の城下町」という説明板があった。この絵図は正保城絵図と呼ばれ、築城から約30年後の高田城と城下町の様子が描かれている。高田公園の一角に高田城の大手橋跡の碑...

2024/11/02

【歩き旅】北国街道 Day7 その③


青田川放水路を越える。青田川は市街地を流れており、氾濫対策のための河道拡張が困難な状況であった。そこで市街地に差し掛かる手前で青田川を分水したのが青田川放水路。右手に関町神明宮が現れる。高田城の南西に位置し、裏鬼門を鎮護している。かつては春日山にあったが、慶長5年(1600年)に福島(現:直江津)、慶長17年(1612年)に出雲町(現:南本町1丁目)、寛永3年(1626年)に現在地に移転した。南本町二丁目交差点で左に折れる。何度も90度に道が折れるのは城下町特有の防御力を高める工夫である。最賢寺の前に「400年の歴史と文化の町」の説...

2024/11/01

【歩き旅】北国街道 Day7 その②


地蔵尊の少し先に、出雲大社越後石沢講社があった。明治17年(1884年)に出雲大社より認可を得て、郷土の反映と産業振興を祈願して建立された。平成27年(2015年)に講社建立130年を記念して社殿を改築した。街道沿いには「出雲大社本殿跡地」の碑が置かれている。石沢には江戸時代に杵築大社(現在の出雲大社)の分社があり、御師の宿場もあったというが、これがその跡地なのだろうか。あるいは昭和31年(1956年)の社殿改築や昭和57年(1982年)の拝殿移築の跡地だろうか。道を挟んで向かいには馬頭観音碑がある。北陸新幹線の高架下をくぐると、明...