気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

※当サイトに掲載されている内容は、誤植・誤り・私的見解を大いに含んでいる可能性があります。お気づきの方はコメント等で指摘して頂けると嬉しいです。

©こけ
Powered by Blogger.

2022/03/09

【巡礼記】関東三十六不動尊 第三十六番 成田不動尊



今回の旅の締めとなる成田不動尊の訪問は「水戸佐倉道・成田街道」歩きと合わせて実施した。詳しい境内の様子などは、そちらのエントリーを参照してほしい。ここでは過去のエントリーで紹介しきれなかった内容を中心に記載していく。


総門を抜けた先の石段の上にあるのが仁王門。門の中央に飾られている大提灯は、東京・築地魚河岸の旦那衆によって昭和43年(1968年)に奉納されたもの。骨組みは砲金と呼ばれる青銅の一種で作られており、その重量は800kgにも及ぶ。


仁王門から大本堂へ向かう階段の脇、様々な供養塔などがまとまっている一角がある。


石段の上にある祠は明治32年(1899年)造立の「こわれ(毀れ)不動尊」。何度修理してもすぐに壊れてしまうことからそのように呼ばれる。倶利伽羅不動明王を本尊として祀っている。


祠へ向かう石段の途中には倶利伽羅龍が巻き付いた倶利伽羅剣がある。倶利伽羅剣は不動明王の三摩耶形(密教ににおける象徴となる器物)であるが、新勝寺境内でも竜が巻き付いた形の倶利伽羅剣の像は多くない。デザイン的に作成が難しかったのだろうか。


大本堂を経由し、奥の院方面へさらに登っていく。額堂、光明堂など目立つお堂の脇に開山堂がある。成田山を開山した寛朝大僧正像を祀っており、成田山開基一千年祭記念事業の一環で昭和13年(1938年)に再建された。天慶3年(940年)、平将門の関東反乱の際に、寛朝は関東を訪問し祈祷を行った。この際に祈祷した不動明王を本尊として創建されたのが新勝寺である。その後寛和2年(986年)には、寛朝は日本で3番目、真言宗で初となる大僧正の職に就いている。


奥の院の先、新勝寺最奥に聳え立つ塔が「平和の大塔」である。関東三十六不動霊場の御朱印はこちらで授受できる。大本堂でも不動明王の御朱印を授受できるが、平和の大塔の御朱印は不動明王の梵字「カンマン」が書かれているのに対し、大本堂は「不動明王」の文字があしらわれたデザインとなっている。

これにて関東三十六不動すべての霊場を巡礼し、結願と相成った。

霊場

成田山 明王院 神護新勝寺 成田不動尊
所在地:千葉県成田市成田1-1
三十六童子:烏婆計童子(うばけいどうじ)

0 コメント:

コメントを投稿