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2022/02/19

【巡礼記】関東三十六不動尊 第十八番 目黒不動尊



目黒不動尊は日本三大不動の一つにも数えられる由緒ある名刹(日本三大不動残り2つは熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊)。門前町は落語の「目黒のさんま」の舞台ともなっている。

目黒不動尊は昭和20年(1945年)の空襲により多くの建造物が焼失しており、立派な朱塗り楼門の仁王門は昭和36年(1961年)に再建されたもので鉄筋コンクリート製。扁額は山門焼失前に掲げられていたという後水尾天皇の書の写しだろうか。


仁王門をくぐり広々とした境内に出る。その奥側に池が見え、2箇所に設置された竜からちょろちょろと水が流れ落ちている。大同3年(808年)に創建した際、慈覚大師円仁が地面に独鈷を投げたところ、そこから泉が湧き出したという。これが寺名「瀧泉寺」の由来ともなっており、滝は「独鈷の滝」と呼ばれる。関東最古の不動霊場でもある。

かつては水垢離ができたが、平成8年(1996年)に「水かけ不動明王」が造立され、水をかけることで不動明王が代わりに滝行を受けてくれる。滝の上段にも数多くの不動明王像が鎮座している。


池の脇には「垢離堂」が設けられている。参拝者や修行者が水垢離を行うための脱衣場であり祈念場としても使われていた。本尊として青龍大権現を祀っている。


その奥には「前不動堂」が置かれている。戦火に晒された目黒不動の境内の中でも数少ない江戸時代中期の建物として、東京都指定有形文化財に指定されている。

前不動堂とはその名の通り、本堂の前に置かれた不動堂のこと。内部には木造の不動明王三蔵立像が祀られている。身分の高い人が本堂を参拝している際、他の参拝者は本堂に立ち入ることを禁じられていたため、代わりに前不動堂で参拝した。それだけ日常的に多くの参拝者がいたことを物語っている。訪問当時は改修中であった。


こちらは2019年訪問時に撮影したもの。改修を終え、宝形造の正方形の屋根に朱色が映えている。扁額は江戸時代初期に活躍した書家・佐々木玄龍の書。


前不動堂の前に置かれている狛犬が特徴的。弘法大師空海が高野山を開山した際、道案内をした狩場明神のお供が白黒2匹の犬だったことにちなみ、空海ゆかりの真言宗寺院などにはこのような「和犬型」の狛犬が置かれることがあるという。瀧泉寺は天台宗の寺院であるが、天台宗の開祖・最澄と空海は密教で繋がりがあることから、境内に和犬型狛犬が何体か置かれているのだそうだ。頭を垂れていてどこか哀愁を感じさせる姿をしている。


男坂という47段の急石段を登りきると、平成29年(2017年)建立の山王型鳥居の奥に本堂が鎮座している。本堂は昭和56年(1981年)の再建で、円仁自彫と伝わる不動明王像を本尊として祀っている。


東京都公文書館デジタルアーカイブ引用「旧江戸朱引内図」より、文政元年(1818年)時点の目黒付近を抜粋したものである。黒の墨線で囲われた領域が町奉行所が管轄した範囲を示しているのだが、下目黒村と中目黒村だけ不自然に出っ張った形で囲われているのがわかる。これは目黒不動とその門前町が栄えた下目黒村・中目黒村は江戸町民の人出も多かったため、例外的に町奉行の支配が及ぶようにしたためである。今ではそこまでではないが、往時は江戸庶民に人気のあった観光地であったことがわかる。

霊場

泰叡山 瀧泉寺 目黒不動尊
所在地:東京都目黒区下目黒3-20-26
三十六童子:利車毘童子(りしゃびどうじ)

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