【歩き旅】水戸佐倉道・成田街道 Day3 その③
時平神社に立ち寄る。大和田宿には大和田村に慶長15年(1610年)、萱田村に元和元年(1615年)創建の時平神社があり、こちらは萱田側。時平神社は藤原時平を祀る神社で、八千代市内に4箇所ある。
藤原時平の子孫が久々田(現在の習志野市津田沼あたり)に流れ着き、深山(船橋市三山)に住み着いたという伝承から創建されたものと考えられ、その後子孫は三山にある二宮神社の神主となったと伝わる。その事もあってか、時平の政敵・藤原道真を祀る天満宮や天神が大和田周辺にほとんどない。
大和橋で新川を渡る。新川は印旛沼の疎水路である。上流の大和田排水機場を臨む。
新川を渡ると下市場の集落に入る。左手の皇産霊神社に立ち寄る。「皇産霊」には「こうさんれい」、「みむすび」と呼び方があるようだが、この神社の由緒は不明。
その少し先には白旗神社があった。この神社も創建年代等の詳細が不明だが、御祭神は誉田別命(応神天皇)で、社名は源氏の旗印である白旗にちなむという。いわゆる八幡神社系統の神社ということのようだ。
境内には馬頭観音、庚申塔、社殿改修記念碑、子安講碑などがならんでいる。
境内に第十六番の札が付いた祠があった。実は道中でこれまでいくつか目撃したのだが、これは「吉橋大師講」という四国八十八ヶ所のミニマム版。文化4年(1807年)に開創された下総四郡八十八ヶ所霊場が元になっており、霊場は八千代市、習志野市、白井市、船橋市に点在する。
現在は霊場としての活動をしておらず、御朱印がない札所も多いが、個人で散歩がてら巡礼しているケースはWeb上でも散見できるので、興味がある方は実施してみると良いかもしれない。
下市場交差点で国道16号を横切り、少し歩くと右手に八坂神社がある。これまた由緒は不明だが、境内には道祖神、金比羅宮の祠、馬頭観音、子安観音の碑などが並ぶ。
ここには吉橋大師の第七十八番札所がある。
八坂神社のすぐ近くに台町稲荷神社がある。平成23年(2011年)の住居表示実施により勝田台北となった地域で、それ以前は村上(旧印旛郡村上村)であった。この北の米本(よなもと、旧印旛郡米本村)には米本城があり、その城主は代々村上氏が務めていたという。米本城は永禄元年(1558年)または永禄4年(1561年)に落城し、昭和年間に土の採掘により城郭の大部分は失われている。
境内には吉橋大師の第八十四番札所の祠があった。
勝田台駅前を通過すると佐倉市域に入る。勝田台駅は昭和43年(1968年)に開業した京成電鉄の駅。駅周辺は京成電鉄によるニュータウン計画によるまちづくりがなされ、駅の完成と同時に駅南側の勝田台団地の入居が開始した。その後も高度経済成長による都市郊外の人口増加の影響を受け、平成8年(1996年)には第三セクターの東葉高速鉄道が開通し、勝田台駅に東葉勝田台駅が接続した。
街道の左手、ゴルフショップの敷地内に小さな庚申塔がある。明治42年(1909年)のもので、「北 米本木下道」と刻まれているという。成田街道沿いの集落にとって、近場で最も物資が集積する木下へ向かう需要が大きかったことが伺える。
井野交差点の数百メートル手前に成田街道道標2基、句碑兼道標1基、そして常夜燈が置かれている。常夜燈は文政10年(1827年)に、茶店「林屋」の前に建てられたもの。林家ではここから北に100m程の場所にある「加賀清水」と呼ばれる湧き水を振る舞っていた。加賀清水の愛称は第八代佐倉城主の大久保加賀守忠朝が愛飲したことに由来する。
一番右の道標は七代目市川團十郎が天保2年(1831年)に建てたもので、「天はちち 地はかかさまの 清水かな」と刻まれている。真ん中の道標は明治27年(1894年)に岩田長兵衛が建立した5基のうちの1つ。一番左は天保11年(1840年)に江戸の豪商・古帳庵夫妻が、大和田原の情景を詠んだ句が刻まれている。
志津駅前を通過し、ユーカリが丘駅に到着する。昭和46年(1971年)に山万が開発を開始し、昭和54年(1979年)に分譲を開始したニュータウンの拠点である。ユーカリが丘駅は京成電鉄と山万ユーカリが丘線の駅として昭和57年(1982年)に開業した。この日は地元のマーチングバンドが駅前の広場で発表会を行っていた。
ユーカリが丘の特徴でもある「山万ユーカリが丘線」は、ユーカリが丘ニュータウン内をラケット状に移動することの出来るAGT路線(自動で移動する中型車両の軌条式路線)である。遊園地のアトラクションにも似たこの路線により、ユーカリが丘を一周15分程度で周回することができる。また不動産会社が鉄道事業に参入する事例が珍しいだけでなく、「女子大駅」「中学校駅」などの何とも言えないネーミングの駅があることでも知られている。山万の長期的な都市開発は、「循環型社会創出活動」としてグッドデザイン賞を受賞するに至っている。
本日はユーカリが丘線を1周した後、京成電鉄で帰路についた。