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2014/05/29

名所江戸百景:広尾ふる川 -きつねとたぬきと原っぱと-



名所江戸百景には川を題材にした作品が数多くある。
その中の一つ「広尾ふる川」を一言で言い表すなら「地味」である。
この風景には一体どのような名所が描かれているというのだろうか。

まず注目するのが、画面中央に流れる河川にかかる橋であろう。
タイトルからもわかるように、この川は「古川」である。
古川は天現寺橋を境に渋谷川と接続されており、浜松町で東京湾へと流入していく二級河川である。

参考:渋谷川・古川流域連絡会 : 渋谷川・古川流域図



江戸当時古川に架けられていた橋は、河口から金杉橋、将監橋、赤羽橋、中之橋、一之橋、二之橋、三之橋、四之橋とあり、描かれているのは「四之橋」である。
上図は江戸切絵図から「東都麻布之繪図(1857年・安政4年)」より、四之橋周辺を抽出したものである。
(左が北を指していることに注意)
橋の脇に「相模殿橋ト云」の表記があるように、四之橋は「相模殿橋」として親しまれていた。

相模殿とは、橋の北西にあった「土浦藩主土屋相模守の下屋敷」を指す。
東都麻布之繪図では「土屋采女正」と表記されている位置である。
この采女正(うねめのかみ)は、官位従五位下で、采女と呼ばれる女官を管理する立場にあった役職である。
土浦藩土屋家では、第十代藩主土屋寅直(つちやともなお)が1837年(天保8年)に采女正を叙位されている。


さて、ここまで四之橋の話を進めてきたが、この橋がこの地を名所と言わせしめている所以かといえば、そうとは言い難い。
次に注目するのは「広尾ふる川」の橋の袂。よくよく見てみると、二階席まで客で賑わう料亭のような建物があるではないか。
この店は「狐鰻」という鰻の店である。
狐鰻が店を構える以前、四之橋には「尾張屋藤兵衛」というしるこの店があった。
「狐が化けて食べにくるほど美味しい」と評判になり、いつしか「狐しるこ」と呼ばれるようになったという。
勢いに乗った狐しるこは、その後京橋三十間堀へと移転していった。
残された四之橋の地を「狐」を冠して引き継いだのが、「狐鰻」である。
1852年(嘉永5年)発行の「江戸前大蒲焼番付」では、世話役に「麻布 狐鰻」の名がある。(参考:東京都立図書館 6. 江戸前大蒲焼番附
また作成年は不明だが、「江都自慢」という番付でも「古川 狐うなぎ」の文字が見て取れる。名立たる名店と肩を並べているようだから、それなりの有名店であったのだろう。

麻布界隈では狸狐伝説が幅を利かせていたようで、七不思議として伝承が残っていたりするようである。かつては白金に「ムジナ横丁」なる場所もあったようであるし、なにより「麻布狸穴町」という地名、渋谷川に架かる「狸橋」、元麻布には「狸坂」・「狐坂」など、現在までその痕跡が残されているものが多い。


これまで記したように、「広尾ふる川」には、中央に「四之橋」、左端には「狐鰻」が収められている。しかし、これまで触れていない大きな存在がそこにはある。この絵で最も面積を占めるものーそう、「野原」である。

画面奥に広がる原野は、「広尾原」と呼ばれる未開の地で、鳥類の生息に適していた。
そのため将軍御抱えの「鷹場」としての役割を果たしていたようである。
近隣の「碑文谷原」、「駒場原」などと合わせて「目黒筋」と呼ばれていた。


上図は1805年(文化2年)に作成された「目黒筋御場絵図」である。
下が北を向いており、東西を古川・渋谷川が流れているのがわかる。
四之橋は左下「麻布町」の文字の上に描かれている。そこから川に沿って西(画面右)に向かうと、水車橋の位置に緑色に塗られた「廣尾原」の広大な土地が確認できる。
広重は廣尾原を江戸名所図会でも描いており、江戸が発展していく中でもしぶとく生き残る田園・原野の雰囲気が魅力的だったようだ。

現在の四之橋にある説明板に、このようなことが記されている。
四之橋の由来
この橋は、高輪の葭見坂から麻布本町に向かう、古い街道すじにあったという伝承があるので、始めて架けられたのは、江戸時代よりも前のことであろう。(以下略)
つまり、かねてから主要な街道筋であったようだ。
そのため多くの人々がこの場所を行き来していたであろう。

大名屋敷が立ち並んでいた麻布本町側から、麻布台を薬園坂で駆け下りていく。
古川に突き当たると、寺町から臨む廣尾原の広大な風景が。
「うくひすを尋ね々々て阿在婦まで」
そんな句を残す者が出るのも、必然なのだろう。

かつて360度開けていた空は文明に覆われ、狐狸の鳴き声はおろか鳥のさえずりさえ通りづらくなっているようだった。