桜稲荷神社 〜蔵前橋通りさんぽ②〜
蔵前橋通りを移動中、首都高のほど近くに狭小神社を発見した。
近づいてみると幟も立っており、しっかりと管理がされているような雰囲気。
鳥居には「櫻稲荷神社」の文字が刻まれていた。
中を除くと、狭い路地の奥に本殿が鎮座(?)していた。
昭和59年に記された桜稲荷神社縁起の概要は以下の様な感じ。
大正12年の東京大震災以来、藤堂家にあった稲荷神社が荒廃状態にあった。とのことである。
これを案じた岡本悟一氏が世話人となり、昭和3年に桜稲荷神社としてこの地に奉じた。
その後太平洋戦争によって一度消失するも有志によって再建され、概ね今の姿になる。
祀られているのは伏見稲荷大明神。(要約)
ここで出てくる「藤堂家」は、おそらく江戸期にこの地に屋敷を構えていた「藤堂佐渡守」の系譜を指していると考えられる。
藤堂佐渡守は、津藩から別れた久居藩を治め、五万三千石の石高であった。
道を挟んで南側には津藩の藤堂和泉守の上屋敷が構えられており、こちらは現在の「神田和泉町」の由来ともなっている。
当時はこちらのほうがこの地で優位であったと考えられるので、もしかしたら上記の藤堂家は藤堂和泉守の家系かもしれない。
私が写真を撮っている間にもスーツを着たおじさんが拝んでいった。
寺社は地元に根付いてこそのものであることを、改めて感じさせられた次第である。
より大きな地図で 蔵前橋通りさんぽ を表示