大江戸線の「厩橋越え」の謎は諸説あり
都営地下鉄大江戸線は2000年に開通した比較的新しい路線。
都内で一番深いところを走る路線としても有名だが、この路線には様々な「謎」があり、半ば都市伝説化しているものもある。
その中の一つが、地図などを見たときに気になる人も多い、蔵前駅と両国駅の間にある謎の「分岐」であろう。
上下線が厩橋の直下を避けるように迂回して隅田川を越えるのである。
厩橋は昭和4年竣工の3径間下路式タイドアーチ橋である。
隅田川西岸にあった浅草御米蔵の北側に厩が併設されていたことから、一帯の隅田川沿いは「御厩河岸」と呼ばれており、元禄3年(1690年)には「御厩(河岸)の渡し」が認められた。明治5年(1872年)に渡しで転覆事故が起こると利用者が激減し、明治7年(1874年)に廃止された。その代わりに架橋されたのが(旧)厩橋である。
さて本題に戻ろう。
調べてみたところ大江戸線厩橋の謎は、既にいくつかの説が浮上しているようである。
代表的なものは以下の2つ。
1.橋を爆撃された際に、地下鉄が影響を受けないようにするため。
若干オカルト臭がする話。「橋」は交通の要所であることから、戦時中は爆撃対象となるという。実際の東京大空襲では隅田川に架かる橋への攻撃は無かったが、もし爆撃された場合、崩れ落ちた鉄骨で川底がダメージを受ける可能性がある。
そのような場合に橋の直下に地下鉄を建設していると被害を受ける可能性があるため、それを避ける目的で大江戸線は厩橋を迂回しているというのである。
この議論の延長には、大江戸線のトンネルが戦前から存在し、その耐用年数が限界に来ていたため大江戸線開通の名目でトンネル補強を行ったという話があるが…。
あんまり触れないでおこう。
2.橋台に影響を与えないようにするため。
厩橋には他の橋と同様に立派な「橋台」と「橋脚」が備わっている。橋台・橋脚の地下にはそれらを支える「基礎」が設置されているはずである。地下にトンネルを掘ろうものなら、地下に埋まったこの障害物をどうしても避けなければならない。隅田川を地下で行き来する路線は大江戸線以外にも多数存在するが、東西線以外は橋の直下に路線が存在しない。そもそも橋の両端を通るようにルートが設定されていないのだ。
ちなみに東西線は永代橋直下に路線があるが、永代橋は杭を使う工法ではない(ニューマチックケーソン工法)ため、橋と地下鉄を並列にすることが可能なようである。
本来であれば計画の段階で厩橋の両端を通るようなルート設定は避けるはずだが、隅田川西岸には国道6号直下を都営地下鉄浅草線が通っていることもあり、うまいこと橋を避けて川を越えるルートが設定できなかったようだ。
厩橋西岸付近の水深は3.7m[参考1]。
厩橋東岸付近の水深は3.9m[参考1]。
蔵前駅の深さは17.9m[参考2]。
大江戸線のトンネル外径は5.3mなので、杭基礎が川底から十数mもあれば地下鉄のトンネルに到達するしそうである。
(参考1:日本財団図書館(電子図書館) 船舶の河川航行に関する調査研究報告書)
(参考2:蔵前 | 東京都交通局)