【歩き旅】水戸街道 Day3 その① 〜「我孫子」は初見では読めない〜
3日目は柏駅よりスタート。柏神社ではなにやらお祭りのようなものをやっていた。
そごうの立体駐車場の前に石碑が立っている。ここは明治13年(1880年)に明治天皇が陸軍の軍事演習を見学する途中に立ち寄った寺嶋家があった場所である。
寺嶋家は柏駅の誘致や柏郵便局の設置に貢献した柏の名手であり、私塾やサロンとして利用されることもあった邸宅は「摘翠軒」の愛称で親しまれていた。
江戸へ近道?と刻まれている石碑があった。
トヨタレンタカーを越えたあたり左に入ると諏訪神社がある。由緒は明らかでないが、諏訪神社が関東一帯に広まったのが鎌倉時代であることから、古くより鎮座していたと考えられる。
柏の市街地を抜けると常磐線の線路に当たる。旧道はこれを越えて北進から北東へと曲がる。その線路の向こう側に一際目を惹く洋館がそびえたっている。
こちらハート柏迎賓館は、元々「柏玉姫殿」という名称の結婚式場を運営していた。後に「マリアチャペルマリベール柏」に改称したが、2014年に閉館。その後は貸イベント会場の施設として現在の名で営業している。
線路沿いを行くと寛政11年(1799年)建立の馬頭観音碑がある。側面には「なかれやまみち」と刻まれている。流山へ至る道とは、今歩いている水戸街道を指すのか、それともここから脇にそれる道を指すのかは分からなかった。
真言宗の東陽寺の墓地前に、多くの石碑が並んでいる。左から順に、
延宝8年(1680年)十九夜念仏如意輪塔
延宝3年(1675年)十九夜念仏如意輪塔
安永8年(1779年)青面金剛塔
元禄2年(1689年)庚申塔
延宝7年(1679年)庚申塔
大正8年(1919年)出羽三山百観音巡拝塔
大正11年(1922年)馬頭観音碑
昭和26年(1951年)馬頭観音碑
万延元年(1860年)普門品塔
と並んでいる。
東陽寺の道を挟んで反対側には妙蓮寺がある。こちらは建武元年(1334年)頃創建の日蓮宗の寺院であるが、境内入ってすぐの所にこじんまりとしたお堂が建っている。これは清正公堂で、中には清正が手植えした木で作られた清正像が祀られているという。
根戸バス停の奥に八幡宮の祠がある。この辺りはかつて「根戸宿」と呼ばれ、街道沿いに比較的敷地が広い家々が立ち並んでいる。
根戸には江戸幕府直轄の「根戸村御林(おはやし)」があった。黒船来航の後、幕府は対外防衛のために江戸湾品川沖に砲台、いわゆるお台場を建設したが、その建材として使われたのが根戸村の木材だという。
我孫子駅前には八坂神社が鎮座している。応永3年(1396年)の創建とされ、
我孫子の集落が成立した頃と考えられる。八坂神社の裏手は急坂になっている。これはその奥にある手賀沼のかつての浸水域を物語っているものである。
平安時代の頃の手賀沼は、太平洋から伸びる「香取海」の入江の一つで「手下浦」と呼ばれていた。当時は霞ヶ浦や印旛沼とも繋がっていたが、江戸幕府による利根川東遷事業などにより現在の独立した沼になった。
昭和に入ると埋め立て事業に加え、その土地にディズニーランドを建設する計画もあったようだ。
八坂神社前の真っ直ぐな道のあたりからが、かつての我孫子宿の宿域であった。我孫子宿は天保14年(1843年)の記録では、本陣1、脇本陣1、家数114軒、常備人馬数10人、10疋の規模であった。
大正期になると、手賀沼を臨む景色が風光明媚であることから「北の鎌倉」と称されるようになった。柔道の創始者・嘉納治五郎が別荘を構え、武者小路実篤をはじめとする白樺派の文人が移り住み、志賀直哉が「暗夜行路」を書いたのもここ我孫子である。
三叉路になっている交差点の中央の木陰には、多数の石碑が乱雑に置かれている。中央にあるのは「右成田道」と刻まれた文化13年(1816年)の石碑。その左側の青面金剛碑は安永5年(1776年)のもので、「右てうしみち 左水戸みち」と刻まれているという。他にも江戸期の道標や石碑が転がっているようだが、草に覆われて確認できなかった。
道標にもあるように、ここを直進する道が成田山へと続く道である。この道は布川街道とも呼ばれ、布佐、布川、中田切、紅葉内を経由して若柴宿で水戸街道と合流する道である。さらにいうと、取手宿・藤代宿経由のルートが設定される以前は布川街道が水戸街道として利用されていた。
三叉路の三角地帯の先端部には明治22年(1889年)の道路元標が置かれている。当時の道路元標は各市町村の主要地点(市役所前や主要道の交差点など)に一基ずつ置かれていた。当時からこの交差点が主要道として認められていたことが伺える史料である。
この先、泉交差点から先は常磐線の線路によって旧道は分断されている。そのため、線路をアンダーパスして迂回する。トンネルを抜けてしばらく進むと右の林に入る未舗装路があるのだが、道の左側を進んでしまったためさらに先の歩道橋まで進む。
遠回りしてしまったが、大空の元に広がる田園風景を臨めたのでよしとする。