秩父三十四カ所巡礼の旅 Day5の③ 〜小鹿野町へ突入〜
大指集落の外れ、大指バス停の奥には文化6年(1809年)建立の巳待塔が鎮座している。
巳待が行われる「巳の日」は弁財天の縁日でもあり、弁財天が水を司る神であることから、巳待講は水害が多発する地域でよく見られる。この巳待塔のある場所もすぐ脇に沢が流れている。
県道37号線を緩やかに登ると小鹿野町(旧両神村域)に突入する。
小鹿野町に入ってしばらくすると、かつて一里塚や巡礼宿があったとされる東下野沢に差し掛かる。その痕跡を探してみたが何も見つからなかった。
さらに道なりに進むと右手に八坂宮と巳待塔が鎮座している。隣接する住宅を改築した際に整備したらしく、整然と座している。巳待塔は明和4年(1767年)のもの。
ダイハツ自動車の整備工場脇を進み県道を離れる。屋根のある地蔵と二十三夜塔がある「馬坂」を登ると間庭の集落となる。
ここで最も存在感を放つのが「間庭の祠」である。八坂神社、鬼神神社、妙見宮などが祀られている。このうち八坂神社の元では毎年7月に「甘酒まつり」が開催されており、地元の信仰を集めている。
間庭の祠を右手にして道なりに50mほど進むと、右手の畑と民家の間に道ともいえぬ隙間がある。進むと民家の裏になにやら道が伸びている。道と言っても足元もおぼつかない未舗装路で、2度ほど切り替えしながら川へと下っていく。しばらく放置されていたようで、奔放に育つ木々によって寸断されている箇所もあった。
そんなこんなで小森川の河川敷に到達した。巡礼道は川を橋で渡っていたようだが、現存せず流れも急であるので近くの小森橋で迂回した。
対岸の旧道を登ると、天保12年(1841年)建立の霊符尊碑が道標と共に置かれていた。
道教の北辰(北極星)信仰に端を発する北辰妙見信仰において、霊符尊は北辰を神格化したもの。仏教で言うところの「妙見菩薩」と同等である。丁度小森川を挟んで対岸にある間庭の祠にも妙見宮が鎮座しており、もしかしたら対をなして意味を持つものなのかも知れない。
再び県道37号に合流すると味のある洋館に遭遇する。これは大正12年(1923年)築の近藤酒店(近藤銘醸)の店舗兼住宅だったもの。「秩父路」・「秩父志ら藤」などの銘柄を持つ造り酒屋であったが、平成16年(2004年)に後継者が途絶えたため250年続いた醸造業を廃業。現在は秩父ワインが建物を所有し、美術展などを不定期開催しているという。
道の駅両神温泉薬師の湯のお食事処で「薬師そば」をいただく。感想としては素朴な味の蕎麦だったと言っておこう。
道の駅の隣に建つ「法養寺薬師堂」は室町時代の創建で、日本三大薬師の一つに数えられているという(日本三大薬師には諸説あり、当寺を含めない説も多数ある)。奉納されている「木造十二神将立像」は、天正13年から14年(1585〜1586年)にかけて北条氏邦(1568年頃から鉢形城主であった)とその家臣らが奉納したものとされている。
小鹿野警察署両神駐在所と両神ふるさと総合会館の間の道を進み、小鹿野町役場両神庁舎の前に出てくる。庁舎と駐車場の間にちょっとした桜並木があり、その入口に「ミぎ三十一はん」の道標を兼ねた二十三夜待供養塔が鎮座している。摩耗して文字が読みにくいが、安永七年(1778年)のものとのこと。