【歩き旅】大山街道 Day8 その③ 〜さよなら大山〜
大山街道を制覇した余韻もさながら、この山を下らなければお家に帰れない。
下りは雷ノ峰尾根から見晴台を経由して阿夫利神社下社へ戻り、さらに女坂を使って大山ケーブル駅に戻るルートを採用した。
不動尻分岐の先から雷ノ峰尾根をその名の通りジグザグに降りていくと見晴台に到達する。靄がかかって景色があまり良くなかったのでスルー。
見晴台を越えてしばらくすると巨大な杉があった。元々、大山祇神を祀った山の神神社の御神木と他の木が下部で結合しているもので、「絆の木」と呼ばれているという。
見晴台を越えてしばらくすると巨大な杉があった。元々、大山祇神を祀った山の神神社の御神木と他の木が下部で結合しているもので、「絆の木」と呼ばれているという。
橋を渡りながら進むと、その先には二重滝。水量は少ないが、かつてはこの滝も禊で利用されていた滝で、雨乞いの滝とも呼ばれている。
二重橋から10分ほどで下社へ戻ってくる。ここからは女坂をたどって麓を目指す。
女坂は道中に七不思議という見どころがあり、 坂下からその1〜7までの説明板が設置されている。
こちらは七不思議の一つ「眼形石」。目の形をしたこの石に触れれば目が治ると言われているようだが、どうやって見れば目に見えるのかがイマイチ掴めなかった。また、石像横の石にはなにやら文字が刻まれているようであるが、こちらも解読不明であった。
こちらは七不思議の一つ「潮音洞」。この小さな洞窟に耳を近づけると潮騒の音が聞こえるという。
朱塗りの無明橋を渡る。こちらも七不思議に指定されており、話をしながら渡ると下に落ちたり忘れ物や落とし物をしたり悪いことが起こるという。かつては危険な橋で、慎重に渡ってほしいとの思いが伝承となって伝えられたのだろうか。
大山寺へ到着。廃仏毀釈に伴い、現在の下社に当たる場所にあった不動堂が廃止、明治18年(1885年)に現在地に再建された。大正4年(1915年)までは明王院という名前であった。本尊の不動明王像は文永11年(1264年)鋳造のもので国の重要文化財に指定されている。
現在ではもみじ寺や関東三十六不動尊霊場の第一番として知られる古刹である。今回は利用しなかったがケーブルカー「大山寺駅」が目の前にあるので、足腰の悪い人や登山をしたくない人でも容易に訪れることができるようになっている。
紅葉と灯籠と童子像が並ぶ石段は、大山寺のフォトスポットとしてよく取り上げられている。この季節は青モミジであったが、それでも風情のある景観であった。
七不思議の一つ、逆さ菩提樹。上が太く下が細いように見えることからそう呼ばれたのだろという。あんまりピンとこないのはこの木が二代目だからだろうか。
この爪切り地蔵も七不思議の一つ。弘法大師が爪で石を彫り、一夜のうちに作り上げたのだという。その伝説を抜きにしても、岩を削って作った仏像作品として価値あるものである。
こちらも七不思議の一つ、子育て地蔵。普通の地蔵として祀っていた石像の顔がいつのまにか童に変わっていたことから、子育て祈願に利用されるようになったのだという。
坂の終わりに近づいた頃に最後の七不思議、弘法の水がある。弘法大使が岩に杖をついた箇所からこんこんと水が湧き出てきたという伝説に基づく。水量が変わらず常に湧き出ていることが売りなのだという。
女坂を下りきり追分へ戻り再びこま参道へ。遅めのお昼ご飯は参道にあるお店の山菜そばとなった。
今回初めて大山を訪問したが、このブログを執筆している時点で実はこのあと2回も訪れている。さよなら大山、次もまたよろしく。