気の向くままにつらつらと。

歩きや自転車で巡った様々な場所を紹介します。ついでにその土地の歴史なんかも調べてみたりしています。

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©こけ
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2014/10/15

秩父三十四カ所巡礼の旅 Day1の① 〜1番はまだですか?〜



今回の巡礼は、江戸から秩父に向かう古道を辿ることにした。
さすがに江戸からスタートするのはしんどいので、秩父古道マップにある「小川町」から歩き始めるコースを利用した。
スタート地点である埼玉県秩父郡東秩父村の「落合橋」へは、小川町駅からバスを使って移動した。そこで降り立つと、冒頭の写真のような山間の集落が広がっている。

落合橋の南、県道11号線の道端には馬頭尊碑が鎮座していた(おそらく安政の馬頭尊。「屋漏の家」と書かれた看板の脇に地味に佇んでいるので見つけにくいかも)。
ここから槻川に沿って上流に歩き始めていく。



旧道は、一度槻川を南に渡って崖の脇の道をゆく。
崖に埋め込まれるように、いくつかの石碑が置かれていた。崖はいまにも崩れそうで、補強工事の真っ最中といった感じだった。


県道に沿って歩いていくと、公衆トイレと観光地図があった。ここから二本木峠・愛宕山に登るコースに入ることができるが、今回は別の道となる。




宝暦8年の六十六部塔と、六地蔵。







皆谷地蔵堂。
この脇に「右志ゆんれい道(右巡礼道)」の道標があるとのことだったが、写真を撮り忘れる…。ともかく江戸から来て最初の巡礼道の案内である。
また、橋場バス停留所もこちらなので、ここから歩き始めるのも良いかもしれない。

道標に従って右に折れ、結構な急坂を登る。
県道361号線をがんがん上る。
眼前が開けてくると、右側に上る山道に「皇鈴山CPへ 外秩父七峰縦走ハイキングコース」と書かれた案内板と、馬頭尊。
ここからしばし山道を行きます。

一度舗装路に合流し、再び山道へ。
思ったより道が荒れている。これまたそこそこ急な登りが続いて、息も切れてきた。
そんな折、半壊の地蔵のようなものに出会う。文政5年の馬頭観音で、「粥新田観音」と呼ばれるものらしい。


やっとこさ「粥新田峠」に到着。
この辺りは様々なハイキングコースの分岐点となっているので、人通りも(それなりに)多い。
車も何台か止まっており、山歩きの起点となっているようであった。

牧場の脇を通る。柵がもろいので、近づきすぎたら襲われそう…。怖かった。
がんがん下っていきます。
途中砂利道もあるので、思っているよりも疲れる。



巡礼道の道標の脇から、再度山道に入って下っていく。
ここからの道は、ぬかるんでいて滑りやすく、整備もあまりされていないので歩きにくい。
実際、水たまりに足をつっこんでしまい、1番に辿り着く前に満身創痍。




山を下り終えると、皆野町三沢の集落に出る。
「寺山子安観音」が迎えてくれた。





県道82号線を横断し、県道の一本西側の道が巡礼道のようだ。
この大きな石は、川越道と熊谷道の分岐に立てられた「広町の道標」らしい。きっと文字が刻まれていたのだろうが、目を凝らしても確認できなかった。


曽根坂一里塚。中央に立つ阿弥陀塔には、「みキハ大ミや(右は大宮(=秩父神社))」「ひだり志まんぶ(左四萬部)」と刻まれている。やっと1つ目の目的地である一番札所「四萬部寺」の名前が出てきた!
また、この塔は「心求・はま夫婦」によって作られたという。この人物は道中度々出てくる重要人物なので覚えておこう。




札所一番 四萬部寺に到着!!


 小坊主がお出迎えしてくれました。


今回のルートは、秩父観光ナビのちちぶおもてなしマップ「江戸巡礼古道編」の、「秩父札所に入るみち 東秩父〜札所1番」をトレースした。

この日はさらに先まで足を伸ばしたが、とりあえずここまで。