一番札所・四萬部寺で御朱印帳を購入。そそくさと二番を目指して進みます。
四萬部寺の周りには「心求・はまの道標石」が点在している。
元禄15年(1702年)〜永保2年(1705年)にかけて設置されており、現在でも江戸古道を辿る際の道標となっている。
四萬部寺からの二番札所に向かう道は、しばし民家の脇道のような狭い道を進む。道中、「如意輪観音堂」は地元で安産信仰の対象として祀られているようだ。すぐ脇には心求・はまの道標石があった。
県道11号を横切ると狭い道が続いている。車がすれ違えないのではないかというくらいの生活道だ。先に行くにつれ、民家も疎らになってきた。そんな折に現れたのがこの看板だ。巡礼には試練が付き物なのだ。ここからは舗装路だが山道となる。
かなりの急坂で途中休憩を何度も挟んだ。途中、坂を下ってくる巡礼者とすれ違ったが、下ってくる方もなかなかしんどそうだった。
年期の入った馬頭観世音と林道開墾記念碑?が、この道の険しさを物語っている。
坂を上りきると、二番札所「真福寺」に到着。
思ったより参拝客が多くいたけど、ほとんどが車での訪問のようだった。
真福寺は秩父札所が33カ所から34カ所に増やされたときに、札所として追加されたお寺。こじんまりとしたお寺で、常駐している住職もいないので、納経は山を下った麓の「光明寺」で行っている。
小休止の後、納経所に向かうため下山を始めた。
しばらくは山中のつづら折りの車道をひたすら下っていく。10分くらいすると、車道から未舗装の山道に分岐するルートが現れる。わずかな区間だが鬱蒼とした木々の隙間を縫うように山を下ることになる。
山道の途中にある「岩棚金木犀」。埼玉県指定の天然記念物だが、訪問した9月にはキンモクセイらしさは全く感じられないただの「木」だった。この碑も山を下ることに必死になっている状況だと見逃しそうなくらい、薮に紛れていた。今でも時期になれば、あの芳醇な香りを楽しませてくれるのだろうか。
山を下りきると二番札所の納経所「光明寺」。
金剛力士像が行く手を阻む。
真福寺のこじんまりとした様子とは一転、豪勢な造りのお寺で納経を済ませた。
ここからは次の札所までの間隔も短く、それほどアップダウンも激しくないので非常に歩きやすい道が続いている。次の三番札所へは道標石が案内してくれる。
およそ15分で三番札所「常泉寺」に到着。
観音堂の木彫りの龍は「かご彫り」と呼ばれる技法で彫られており、元々秩父神社の薬師堂だったものを移築したものだという。
境内には蓮が浮かぶ沼があり、非常に落ち着いた雰囲気の場所であった。
どんどん先に進んでいく。
歩きやすい区間のためか、巡礼着を身につけた参拝客も多く見受けられた。
皆カメラを片手に草花や田園風景を撮影していた。
四番札所「金昌寺」は、山門に飾られた二足の「わらじ」が存在感を放っていた。
山門に佇む仁王像が健脚の神として崇められたことから、このお寺にはわらじが多く奉納されるようになったようだ。
石仏の寺として有名なこのお寺には1300体ほどの石仏が奉られている。
(ただし何故か写真は残っていなかった。疲れていたからなのだろうか。残念。)
次の5番まではほぼ一本道。
特に迷うこともなさそうだが、心求・はまの道標石は多数発見できた。
五番札所「語歌堂」は、開けた場所にあった。聖徳太子の化身が訪ねてきて、和歌について談義したことから「語歌堂」と名がついたという。
本尊が「准胝観世音菩薩(じゅんていかんぜのんぼさつ)」というあまり耳馴染みの無い菩薩様だそう。(日本百番観音霊場の中でも2カ所しかない。)
この札所も納経所は別の場所にあるので、納経所の「長興寺」へ。
住職曰く、6番方面に向かうと時間的に8番が回れない(17時で納経終了)ので、10番方面に向かって秩父駅から帰る方がおすすめとのこと。
しかし、江戸巡礼古道を辿ることを決めていた私は、とりあえず行ける所まで行ってみることにした。
民家の脇を進んでいくと、小川に突き当たる。
道標石の脇には「徒歩道(車不通)」の文字が。
進んでいくと、川沿いに薄暗い未舗装道が伸びていた。
通称「よこっぴき」と呼ばれるこの道は、崖を削られて作られている道で、古道の雰囲気を残した区間となっている。ただ夕方に歩くにはちょっと怖い。
よこっぴきを抜けたあと、少し道を外れて「寺坂棚田」へ足を伸ばしてみた。
埼玉県内最大の棚田で、歴史を辿ると縄文時代までさかのぼるというこの棚田。9月末には彼岸花が見頃になるという。丁度稲刈り直前だったので、黄金色に光る棚田がなかなか幻想的だった。
六番札所「卜雲寺」は、かつて棚田近くの小高い土地に位置していたが、宝暦10年(1760年)に移転。古道をそのまま進んでいくと先に7番札所に到達してしまう。
順打ちで巡りたいため、7番札所手前で6番に向かうルートを辿ることにした。
卜雲寺本尊の「聖観世音」は、元々武甲山山頂に奉られていたものを移してきたものだろいう。山岳信仰を物語るかのように、境内からは武甲山がよく見える。
時間が迫る中、七番札所「法長寺」へ急ぎ、ギリギリで到着。
本堂が秩父札所内で最も大きく、平賀源内が原図を担ったという。
ここから八番札所までは30分程かかるため、本日はここで終了。最寄りの横瀬駅まで疲労困憊した体と足を労りながら帰路についた。
せっかくなので、一度西武秩父駅に立寄り、秩父名物「わらじカツ丼」をいただいた。
甘い味付けの豚肉が疲れた体に染み渡る一品だった。