気の向くままにつらつらと。

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2013/07/11

揖取稲荷神社 〜蔵前橋通りさんぽ①〜


蔵前橋通りを歩いたり自転車で通行したりすることが多いので、通り沿いの名所?みたいなものを紹介するシリーズができそうだと思い、やってみる。

蔵前橋から西へ向かっていると、「揖取稲荷神社→」という看板が目に入る。
「いぼとりいなりじんじゃ」とは皮膚系の病気に効力を持ってるんじゃないかと思い、矢印の向きを覗きこんでみると、薄暗い道の影に隠れるようにこじんまりとした神社が佇んでいる。
しかも「いぼとり」じゃなくて「かじとり」とは!
※そもそも病気のイボは「疣」と書きますね。。。

この神社の謂れは以下のようなものである。
慶長年間江戸幕府米倉造営用の石を遠く肥後熊本より運搬の途中、遠州灘の沖に於て屡々遭難あったが或る時稲荷の神の示現を得てより後は航海安全を得る事が出来た。その神徳奉賽の為め稲荷の社を浅草御蔵の中に創建、名づけて揖取稲荷と称へ爾来今日に至って居る。鎮座以来既に三百七十年氏神榊者の摂社として祭事怠る事無く奉仕。商売繁昌、火防の神として広く衆庶の尊信を集めている。(説明板より引用)
この神社の位置には、江戸幕府最大の米倉「浅草御蔵」があった。
敷地面積が東京ドーム2個分にも及ぶこの米倉の造営には、多くの資源が必要だったに違いない。
土地の埋め立てに必要な土は、近くの鳥越神社の丘などから調達したようであるが、さすがに石は確保できなかったため、遠方から取り寄せたのであろう。
とはいえ、遠州灘といえば波荒れ狂う七十五里の難所である。多くの船が水難に遭ったことは容易に想像できよう。
そんな中、お稲荷さまに救いを求めるとあら不思議、無事に江戸にたどり着くことができるではないか。ありがたやー。

そんなこんなで元和6年(1620年)、ついに浅草御蔵が完成するのである。

ありがとうお稲荷様、というわけで御蔵の敷地内に「かじを取る」神社を奉ることにしたという運びである。


ところで船の「かじ」は普通木偏の「楫」という字を当てるが、何故手偏なのだろうか。
そもそも手偏の「揖」は、古代中国や神道において「礼(おじぎ)」という意味があるようである。
(参考:http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/223667/m0u/%E6%8F%96/

調べてみると、「揖取神社」は大阪にも存在しており、こちらも「かじとり」神社だという。
おそらく「楫」に神道に由来する字である「揖」を当てて、霊験あらたかな感じを醸し出そうという流れなのではないかな。

※漢字は違うが、「梶」という字についても「手偏の梶」が存在するようである。
家系の本家と分家を区別するために用いられたという例があるらしい。

(参考:https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&ldtl=1&dtltbs=1&mcmd=25&st=update&asc=desc&state=2200000033&id=1000076693

こんなこじんまりとした神社だが、一つ見所がある。
それは、神社の脇にある貝殻アート。

誰が制作しているかまでは解らなかったが、定期的に絵柄が変わるようである。
(今回の絵柄は、ちょうど富士山が世界遺産に登録されたからだろうか。)
時期や季節を表現した内容が多く、この神社の風物詩となっているようで。

小さな神社だからこそ、町内に根付いた信仰を集めているのではないだろうか。



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