【歩き旅】水戸佐倉道・成田街道 Day5 その④
総門を抜けると左右に石灯籠が並び、その先に仁王門が立ちはだかる。仁王門は天保2年(1831年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。門の左右の仁王像は、阿形が那羅延堅固王、吽形が密迹金剛力士で、裏仏に広目天と多聞天を従えている。
仁王門を抜けると、大本堂が広がる。昭和43年(1968年)に建立したもので、内部に自由に入ることができる。本堂内は360畳の広さで、初詣期間には横一列に賽銭箱が並び、大人数が一斉に参拝できるようになる。この期間に例年310万人程参拝に訪れ、関東圏の初詣の人手は明治神宮に次いで第2位の座を長年守っている。
大本堂向かって右手に三重塔がある。正徳2年(1712年)の建築で、重要文化財に指定されている。各層に広がる板垂木は厚さ20cm以上の一枚板で作成されており、一枚垂木と呼ばれている。そこに施された雲水紋の彫刻が見事で、その豪華絢爛な様子は日本でも一二を争うと言われている。
大本堂向かって左手より奥に進み、さらに上層へ進む。訪問した平成30年は成田山開基1080年にあたり、10年に一度の御開帳奉修を行っていた。
階段を登って正面にあるのが光明堂。元禄14年(1701年)に建立された2代前の本堂(元禄の本堂)で、こちらも重要文化財。堂内には不動明王、大日如来、愛染明王の像があり、堂内に入って参拝することができる。正面中央の掲額は日本橋魚市場(築地市場の前身)が奉納した額で、不動明王が持つ三鈷剣があしらわれている。
その隣には平和の大塔がそびえ立つ。昭和59年(1984年)に建立された塔で、外観は二重塔だが、5階建ての構造になっている。1階部分には写経道場や成田山の歴史を展示するスペースがあり、2階には不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅などを奉安する明王殿、3、4階には経・法蔵殿、5階には五智如来を奉安する金剛殿を設け、真言密教の全容がこの建物内にまとめられている。
少し戻って奥の院に立ち寄る。奥の院の入り口は普段は閉ざされており、祇園会と祇園祭の際にのみ開扉される。内部は洞窟のようになっていて、奥に大日如来が安置されている。入り口の両側には板石塔婆(板碑)が嵌め込まれている。右は明徳5年(1394年)の阿弥陀如来の種字が入ったもの、左は延元元年(南朝年号・1336年)の阿弥陀三尊の種字が入ったもの。
そんなところで成田山新勝寺をあとにする。本来は新勝寺から東参道に沿って進む箇所に位置する寺台宿が街道の終点となるのだが、成田の門前町を寺台宿と勘違いしたため訪問していない。江戸時代に新勝寺の参拝客が増えてから門前町を形成した成田村と元々の宿場であった寺台村は、人馬継立の権利をめぐり争ったことがあるなど、犬猿の仲となっている。その経緯があってか、祇園祭に寺台は参加していない。
訪問した平成29年(2017年)はゆるキャラグランプリで成田市の「うなりくん」が優勝した年だったので、町中はうなりくんフィーバー。うなぎと飛行機が融合した姿はまさに成田の象徴にふさわしい。
飛行機ではなく電車で帰宅した。
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