【巡礼記】関東三十六不動尊 第三十二番 厄除岩瀬不動尊
今回より千葉県の札所を巡っていく。JR内房線・大貫駅より徒歩20分ほどで岩瀬不動尊こと最上寺へ辿り着く。白雉19年(668年)〜22年(671年)に修験道の開祖である役行者がこの地を訪れ、この地に堂宇を建立したことに始まる古刹である。
山門は無く、その代わりに仁王像が配置されている。
最上寺の裏手にある普和山は、役の行者を崇拝する行者により修業の場となっていた。鎌倉時代には仏師の雲慶(=運慶?)が諸国巡礼でこの地に立ち寄り、十一面観世音菩薩を制作して新造した別殿に安置した。鎌倉・長国寺の十一面観世音菩薩の映しとも言われ、その御利益にあやかりたいと多くの参拝者を集めたという。
江戸時代には天災や火災が重なり、さらに明治の廃仏毀釈などの影響により寺院は衰退したが、地元の檀信徒を中心に再興が進み、昭和24年(1949年)に観音堂を建立。現在は観音堂は倒壊の危険があり、昭和47年(1972年)に再建された本堂に本尊不動明王とともに十一面観世音菩薩が安置されている。
お願い地蔵と水子地蔵。境内には多くの石仏があった。
本堂前には大香炉が置かれている。
普和山へ登っていく階段の途中に「ぼけ封じの観音」が鎮座している。最上寺は関東ぼけ封じ三十三観音霊場・第4番札所にも指定されている。
観音堂は損傷が激しく近づくのもままならない。この観音堂が「別殿」として長らく十一面観世音菩薩を護っていた。
水かけ不動尊への階段手前に観音像が祀られていた。
普和山中腹あたりにある役の行者を祀っている神変堂。いわゆる開山堂で、名前は役の行者が姿を変えた神変大菩薩に由来する。
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