【巡礼記】関東三十六不動尊 第二十九番 苔不動尊
しばらく都内や都市部を中心に巡っていた不動巡りも、ここで一気に郊外へ飛び出る。埼玉県秩父地方の中でも観光地として著名な長瀞。その観光の中心駅である秩父鉄道長瀞駅の一つ北の駅・野上駅が苔不動尊の最寄り駅となる。
江戸時代には幕府領の本野上村、中野上村、野上下郷村をまとめて「野上三郷」の通称があり、明治の町村制施行時に秩父郡野上村が成立。明治44年(1911年)に秩父鉄道が開業すると、秩父の玄関口として観光客が多く訪問するようになった。昭和15年(1940年)には町制施行して野上町となったが、昭和47年(1972年)に「長瀞町」に改称した。長瀞町役場は野上駅が最寄りとなる。
野上駅から苔不動尊までは徒歩20分程。国道140号を北上し、長瀞町役場前を通過し、左手に千葉スチール工業のクレーンが見えた辺りで左折する。工場の脇を抜け、田んぼと住宅の合間を縫っていくと苔不動尊こと洞昌院に辿り着く。
階段の途中には六地蔵尊。陰影がくっきりしている。
宝蔵護童子と大聖不動明王像があった。宝蔵とは「仏の教え」や「経典を収める蔵」という意味があり、転じて「人にとって必要なもの」という意味があるようだ。人が大切にしているものを護る童子が宝蔵護童子というわけである。不動明王の前に付いている「大聖」は、「最も優れた聖人」という意味の尊称である。
階段を登ると本堂がある。洞昌院は平安時代中期(1100年頃)に元仲法印によって建立されたと伝わる。江戸時代初期に火災に遭い、それ以前の詳細な情報は残されていない。秩父三十四箇所霊場の1番札所・四萬部寺に向かう際に立ち寄れば「前札」を受けることができる寺でもあったため、かつては多くの巡礼者が安全祈願を行うために訪問していたようだ。
境内には稲荷神社もあった。小さい階段は非常に登りにくそうだった。
虚空蔵菩薩が祀られているお堂があった。毎年1月13日には縁日が行われ、この日には「だるま市」が実施されるという。壁に「萩山入口」と案内があるように、本堂裏手には萩が1万5千本近くの萩が植えられており、7月から9月にかけて隆盛を極める。
実は肝心の苔不動尊は奥の院にある。奥の院は寺院裏手の不動山の山頂付近。長瀞町で最も標高が高い地点の近くである。不動尊へ続く山道は年に一度の祭礼のときに村の人が登る程度。ガレ場や涸れ沢などの危険箇所があったり、イノシシ、クマ、マムシ等に遭遇する可能性もあるため、個人での登拝はあまり推奨されていないという。苔不動尊の近くまで林道が伸びているので、参拝したい方は車で傍まで向かうのがよさそう。
境内からは長瀞の町を臨むことができる。かつての巡礼者はこの野上の町並みを眺めながら、これからの巡礼に想いを馳せたのだろうか。
霊場
不動山 白山寺 洞昌院 苔不動尊
所在地:埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷2868
三十六童子:宝蔵護童子(ほうぞうごどうじ)
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