【巡礼記】関東三十六不動尊 第三十番 不動ヶ岡不動尊
東武伊勢崎線の加須駅北口より北西方向に進む。昭和29年(1954年)に加須市となるまでは不動岡町が存在し、現在では字名にその名が残っている。不動岡交差点を越え、県立不動岡高校前を通過すれば、右手に明治23年(1890年)建立の山門が見えてくる。
仁和2年(866年)に光孝天皇の勅言により智證大師が不動明王を作成した。不道明王の剣が盗まれそうになった際、堂守の夢枕に不動明王が現れたので、この像を吉見領の仮堂に安置した。長暦3年(1039年)の洪水により吉見領一帯が罹災し、不動明王像も流されてしまったが、これが「岡村」という場所に流れ着いた。これを岡村の村人が安置して祀っていたが、その後不動尊信仰が繁栄したので村名を「不動岡村」と改め、元和2年(1616年)に総願寺を建立した。江戸時代には徳川将軍家から信仰を受け、綱吉の時代には御朱印百石が与えられている。現在の不動堂は天保15年(1844年)建立。成田山新勝寺、高幡山金剛寺とともに関東三大不動に数えられている(3つ目には大山寺、飯能市の常楽院、越谷市の大聖寺など諸説ある)。
本堂である大日堂は江戸末期の建立。東日本大震災により屋根瓦の一部が崩落し、雨漏りなど被害があったため応急処置としてトタンで覆われていた。訪問後の令和2年(2020年)、平成の大改修が完了し、無事落慶が行われたとのことだ。
庫裡の前には阿弥陀種子「キリーク」が刻まれた板碑。様式から鎌倉時代末期のものと推定されている。種子を囲むように二重の輪郭があり、その内側に散蓮華の模様が刻まれている。このような散蓮華文様の青石塔婆は全国的にも珍しいという。
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