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2024/01/27

【中央区観光検定】中央区の震災復興計画(2024年版)


中央区観光検定の第16回のテーマは「関東大震災から100年 中央区の復興とこれから」。

ということで、関東大震災によって中央区にどのような影響をもたらしたかを以下にまとめてみた。

震災復興計画で建て替えられた「橋」 

江戸橋昭和2年(1927年)に江戸時代の橋よりも数十メートル上流に架橋された鉄鋼アーチ橋
西河岸橋大正14年(1925年)に震災復興事業により再建
門跡橋昭和3年(1928年)に震災復興橋梁として築南橋という名で架橋。昭和61年(1986年)に築地川南支線の埋め立てにより撤去。
湊橋現在の橋は昭和3年(1928年)復興事業の一環として架橋
永代橋大正15年(1926年)に震災復興事業として架橋
清洲橋昭和3年(1928年)に震災復興事業として架橋
柳橋昭和2年(1927年)に震災復興橋梁として架橋
豊海橋昭和2年(1927年)に震災復興橋梁として架橋
海運橋昭和2年(1927年)に新しい橋が作られた。昭和37年(1962年)の楓川埋め立てにより撤去。
南高橋旧両国橋の中央部分を南高橋に移設。

関東大震災に耐えた橋

一石橋:大正11年(1922年)に鉄筋コンクリートのアーチ橋に架橋され、翌年被災したが落橋しなかった。

新大橋:明治45年(1912年)に鉄骨橋として架橋。震災では落橋せず「人助け橋」と呼ばれる。北西の橋詰に「関東大震災避難祈念碑」がある。

関東大震災で被災した建物

三越日本橋本店本館

交詢社ビルディング(1929年再建)

カトリック築地教会聖堂(1927年パルテノン様式で再建)

海軍大学校(旧海軍兵学校校舎)

海軍軍医学校(移転後、1929年に新校舎設置)

海水館(焼失)

日本銀行本店本館(館内の約半分を焼失)

旧三井本館(1929年に再建)

築地本願寺(1934年に再建)

渋沢栄一の邸宅(辰野金吾設計、現在の日証館の場所にあった)

常盤橋門石垣(門自体は1873年に撤去済み)

椙森神社富塚の碑(1954年に再建)

小網神社社殿(1929年に再建)

関東大震災をきっかけに起きたこと

九条武子が築地本願寺で被災し、震災復興事業に奔走

区画整理により築地本願寺の敷地が半減

桑原七兵衛が焼け跡の見回り時に石町の鐘を発見

魚河岸の移転(1935年に築地市場開場、2018年豊洲移転)

伊勢町堀の埋め立て

服部時計店の二代目時計台の建て替え工事遅延

大根河岸が築地市場に移転(昭和10年)

震災復興公園として浜町公園が設置

薬研堀不動院境内にあった太平記場起源之碑が焼滅

魚河岸の人々を供養するため智泉院に銅造菩薩立像が建立(昭和2年)

関東大震災10周年記念塔として北村西望が『燈台』を作成(昭和8年)

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